明治29年に徳富蘇峰が67歳のトルストイを訪ねたとき、トルストイから「どうか増太郎よろしく伝えてください。そしてこれを増太郎に届けてほしい」と懐から手あかのついた一冊の聖書を預かりました。増太郎とは明治時代にキエフ神学大学で学んだ神学生の小西増太郎氏でトルストイと共に「老子」をロシア語に訳したトルストイの親友です。
この聖書は後に小西家の家宝となり、日本で行われたトルストイ展に展示されました。この聖書は、縦13センチ、横8センチで、322ページで、1896年にペテルブルグ教会から出版されたもので、いたるところに赤と青の線が引いてあります。大切な箇所は青線。極めて重要な箇所は赤線で引いてあります。そしてところどころに黒い線で聖書の字が塗りつぶされている箇所があります。そこにトルストイの信仰が見える聖書です。
トルストイは山上の垂訓のメッセージ「心の貧しき者はさいわいなり」の「心」を黒く塗りつぶしました。「汝の敵を愛し、祈れ」の「祈」を塗りつぶしました。そして「汝が悪口を言われたときに、喜べ、天において汝の報酬は大なり」の「天」を塗りつぶしました。つまりトルストイは聖書から、「心」と「天」と「祈」を取り除いてしまったのです。トルストイはロシア帝政の下で貧しい人々の側に立ち、この地上的理想を求めました。心や天とか祈りではなく、この地上において貧しい者となり、敵を愛し、この地上で大きな報酬を求めたのです。
「心の貧しき者はさいわいなり」の心を取り除きました。彼がどこまでも地上的な、道徳的な理想を追い求めていたことがわかります。彼はそのために貧しい人々に施しをしました。貧しい者の幸を自分も味わおうとしました。そのために者を失うこともありました。しかし彼は心に平安を得ることはできませんでした。
「汝の敵を愛し、祈れ」の「祈」を塗りつぶしました。祈りではなく、本当に自分自身が敵を愛する者となりたい。右の頬を打たれたら左の頬を差し出す。そのような努力をトルストイはしました。ゆえに彼は祈りを取り除いたのです。祈りではなく自分自身が行動によって敵を愛する者となるのだと考えたのです。
「汝が悪口を言われたときに、喜べ、天において汝の報酬は大なり」の「天」を塗りつぶしました。どこまでも天ではなくこの地上に楽園が必要だと彼は考えたのです。彼は何処までもこの地上における報酬を求めて聖書を読んで行動したのです。ゆえに彼の聖書はどこまでも道徳の書となりました。聖書から「心」や「天」、「祈り」を除いてしまったならば、聖書は神のことばではなく単なる道徳の書でしかありません。そこにトルストイが臨終まで苦しんだ理由があると思います。
明治43年にトルストイは82年の生涯を閉じました。彼はどうしても魂に平安を得ませんでした。彼は不安を抱えつつ、82歳の老齢において身を捨て、土地を捨て、修道院に向かって旅に出ました。その途中の駅舎の待合室で息を引き取りました。彼は死ぬまで心の中に葛藤を抱え、平安を得ることができなかったのです。彼の人生を見る時に教会で教わった「聖書は誤り無き神のことばなり」という聖書信仰がいかに大切であるかを学びます。
”わたしにつまずかない者は、さいわいである。”(マタイ11章6節)