ブログトップ

5つのパンと2匹の魚

fivebread.exblog.jp

風に揺らぐ葦

f0229700_6384623.jpg


彼らが帰ってしまうと、イエスはヨハネのことを群衆に語りはじめられた、「あなたがたは、何を見に荒野に出てきたのか。風に揺らぐ葦であるか。(マタイ11章7節)

 ヨハネの弟子たちは、イエス様から回答を頂きヨハネの元に急ぎました。彼らが立ち去るのを見届けたイエス様は、ヨハネの弟子とのやりとりを聞いていた人々に向かって、バプテスマのヨハネについて話し始められました。聴衆の多くは、ヨハネがヨルダン川でバプテスマを授けていたことをよく知っていました。イエス様は彼らにその出来事を思い出させるために「あなたがたは、何を見に荒野に出てきたのか」と尋ねました。「風に揺らぐ葦を見るために荒野へ行ったわけではないでしょう」と語りかけました。

 当時、ヨルダン川にはたくさんの葦が生い茂っていました。「風に揺らぐ葦」とは風になびいて揺れる葦のように一貫しない生き方をしている人のたとえです。葦は北風が吹けば南に揺れ、南風が吹けば北に揺れる。人はそのように風に揺れて、自分にとってどちらが得か損かを考えて、右に左にとどっちつかずに揺れています。それはそのまま私たち自身の姿でもあります。

 神に根を降ろさない人生は、風に翻弄される葦のようです。いつも世の中に振り回され、風に身を任せるのみ。パリサイ人や律法学者もまた神に根を下ろさず、口伝律法という人の教えをモーセ五書以上に扱い、翻弄された人生を送りました。人々は決してそのようなこの世に翻弄されている者に出会うために荒野へ出たのではありません。

 荒野というヘブル語は「ミドヴァール」という言葉で、これは語る・言葉というヘブル語の「ダヴァール」に派生した言葉です。荒野と語るとどう関係があるのでしょうか。聖書は荒野で主の恵みを得たとあります。私たちの人生は必ず荒野を経験します。荒野の無い人生はありません。そこで誰に出会い、どんな声を聴くかによって私たちのその後の人生は変わります。

 人生の荒野こそ神のことばを聴く場所です。荒野こそ神が私たちに語って下さる場。あなたが今、荒野を経験しているならば、どうぞ静まって神の語りかけを聴いてください。そこにあなたの問題の解決があります。
[PR]
by carbondalle1996 | 2015-02-23 06:39 | 日記 | Comments(0)
<< 誰に出会うために荒野へ ペルー宣教から感じたこと >>