『見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの前に、道を整えさせるであろう』と書いてあるのは、この人のことである。(マタイ11章10節)
イエス様はマラキ書の預言を用いてバプテスマのヨハネを紹介しました。預言者マラキはメシヤが来る前にエリヤが登場し、エリヤはメシヤの道を備える働きをすると預言しました。神様が「わたしはわが使者をつかわす」と言われた使者こそバプテスマのヨハネでした。
ヨハネはイエス様が登場する前に荒野で宣教を開始しました。彼は人々に悔い改めを説きました。悔い改めるとは「方向を180度転換する」という意味です。私たちが自分中心に生きて来た方向を180度転換し、神様を中心として生きること。これが悔い改めです。バプテスマのヨハネは悔い改めの象徴として、ヨルダン川で人々に洗礼を授けました。
洗礼とは頭から足の先まで水に浸かることです。すると人は息ができずに死んでしまいます。つまり洗礼とは今までの自己中心という生き方に死ぬことを意味します。そしてこれからは自分中心ではない、神様を中心とした命で生きることを意味します。バプテスマのヨハネはこのように悔い改めのバプテスマを人々に施し、イエス・キリストが来られる道を整える働きをしました。
バプテスマのヨハネとイエス様の関係は、宣教師と牧師との関係に似ているかもしれません。宣教師は福音が語られていない地に入り、そこで福音を宣べ伝え、洗礼を授け、教会を建て上げたら、それを牧師に委ねて自分はまた奥地へと進んで行く。戦後日本に来られた宣教師もみなさん同じです。戦後、日本に来たルーテル同胞団の宣教師も福音が届いていない日本海側に福音を伝えたいと酒田で伝道を始め、その後秋田に来ました。保守バプテストの宣教師も同じように東北に進みました。
バプテスマのヨハネも悔い改めのバプテスマを施し、イエス様の道備えをしましたが、人々の魂を養い、教会を牧会したのはイエス様でした。開拓する宣教師の働きと、教会を養うという牧師の働きが両輪となって神の国は拡大します。あなたの心に神の国はありますか?信じる者の心に神の国は創られます。