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恥の心を呼び起こす

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それからイエスは、数々の力あるわざがなされたのに、悔い改めることをしなかった町々を、責めはじめられた。 「わざわいだ、コラジンよ。わざわいだ、ベツサイダよ。おまえたちのうちでなされた力あるわざが、もしツロとシドンでなされたなら、彼らはとうの昔に、荒布をまとい灰をかぶって、悔い改めたであろう。(マタイ11章20~21節)

 イエス様は20節でこれらの町々を責めました。この「責める」というギリシア語は、「恥の心を呼び起こす」という意味です。救い主メシヤの力ある奇跡を見ても悔い改めなかったということが、いかに恥ずかしいことであるかをイエス様はおしえられたのです。光を見て関心を示すか無関心でいるか大きな違いです。

 続く21節で「わざわいだ、コラジンよ。わざわいだ、ベツサイダよ。」と2回わざわいだという言葉が書かれています。これは原文では「ああ」という深い嘆きを現す言葉です。イエス様はコラジンやベツサイダの町をご覧になって、「ああ、コラジンよ。ああ、ベツサイダよ」と思わず嘆かざるを得なかったのです。なぜイエス様は嘆いたのでしょうか。それは、イエス様の目にはこれらの町々の滅びが見えたからです。イエス・キリストという光を見て無関心だった人々の罪は、それを見ないで信じなかった人々よりも重いとイエス様はおっしゃったのです。

 あなたはイエス・キリストの光に対してどのような態度を示しましたか?関心を示したでしょうか?それとも無関心だったでしょうか?最後の審判の日は必ず来ます。その日が来る前に、あなたもどうぞ世の光なるイエス様を心に迎え入れてください。あなたの中にある恥の心が呼び起こされますように。

 
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by carbondalle1996 | 2015-03-04 07:38 | 日記 | Comments(0)
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