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5つのパンと2匹の魚

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十字架の主を誇る


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 私達が教会に集い、神様を礼拝するということは、私たちはイエス様が言われる賢い者、智恵のある者ではなく、真理の前で幼子となります。神様は私達の覆いを取り除いて、見えるようにこの真理を現してくださったのです。それは私たちが優秀だからではありません。神様の一方的な恵みです。パウロはこの奥義をコリント書第一で書いています。

兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。 (第一コリント1章26~29)

 神様は私たちを愚かな者、弱い者、無きに等しい者としてあえて選ばれたのです。私たちが神様によって選ばれた背後には、このような神様の一方的な恵みがあることを知ると、私達は何も誇ることがありません。パウロが誇るなら十字架を誇ると言ったのはこの奥義のゆえなのです。私たちも誇るなら、私たちの身代わりとなって十字架に掛かってくださった主を誇りましょう。
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by carbondalle1996 | 2015-03-10 06:03 | 日記 | Comments(0)
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