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5つのパンと2匹の魚

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生贄よりも憐れみを捧ぐ

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また、安息日に宮仕えをしている祭司たちは安息日を破っても罪にはならないことを、律法で読んだことがないのか。あなたがたに言っておく。宮よりも大いなる者がここにいる。(マタイ12章5~6節)

 安息日は働くことが罪であるならば、安息日に神殿で仕えている祭司やレビ人はどうでしょうか。祭司やレビ人は神殿で礼拝の奉仕をしています。火を燃やし、犠牲の動物を殺して整え、それを祭壇に乗せて神様を礼拝し、香を焚くなどたくさんの奉仕が要求されました。ですから安息日規定は、神殿で礼拝の奉仕をする祭司やレビ人には適用されません。そしてイエス様は御自身を神殿よりも大いなる者だと言いました。

 神殿は神様を礼拝する場所です。神殿の価値はその建物にあるのではありません。神殿の内側に住まわれている神様の臨在にあったのです。つまり神様の臨在に対して祭司やレビ人は安息日に礼拝を捧げているのです。しかしイエス様は、今ここに神の霊ではなく、神ご自身であるイエス・キリストがいるとイエス様はおっしゃったのです。だとしたら神殿で神の臨在に仕え、礼拝する祭司やレビ人が安息日違反とならないように、イエス様と共にいる弟子たちも安息日違反とならないのです。

『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か知っていたなら、あなたがたは罪のない者をとがめなかったであろう。(マタイ12章7節)

 憐れみとは何でしょうか。それは困っている人を助ける行為です。いけにえとは何でしょうか。それは神殿で神様に捧げられる動物です。安息日に神殿ではたくさんの動物が罪のいけにえとしてほふられ、神様に捧げられていました。しかしどんな犠牲の捧げもの以上に神様が喜ばれるのは隣人を憐れむという愛の行為です。使徒パウロはコリント人への手紙の中で、山を移すほどの信仰があっても、愛がなければ私は無に等しいと言っています。イエス様はマルコ2章27節でこう言っています

 「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。」

 神様が安息日を定めてくださった理由は、私たち人間のためです。同じように神様が私たちに聖書の戒めや教えを与えてくださったのは、私たちが幸せにこの地上生涯を送るためです。なぜならば神様は愛なるお方だからです。神様の愛をあなたもどうぞ受け入れてください。
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by carbondalle1996 | 2015-03-21 07:48 | 日記 | Comments(0)
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