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5つのパンと2匹の魚

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ときには正面から

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イエスはそこを去って、彼らの会堂にはいられた。すると、そのとき、片手のなえた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に人をいやしても、さしつかえないか」と尋ねた。(マタイ12章9~10節)

 イエス様は安息日に会堂に入られました。ルカ福音書には、「イエス様が会堂に入って教えておられたところ、右手のなえた人がいた」とあります。会堂内にいたパリサイ人や律法学者は、イエス様を訴える口実を探していました。そこでイエス様がその右手のなえた人をいやすかどうか見張っていました。

 安息日に働くことを律法学者たちが作った口伝律法は禁止していました。畑に入って穂を摘んで食べることが、収穫と脱穀と貯蔵という3つの労働をしたと見なされ、律法違反の罪に問われます。ですから安息日に片手のなえた人を癒すというのは、病人を治したという労働と見なされ、これも律法違反の罪となります。ルカ福音書には、イエス様は彼らパリサイ人や律法学者の思っていることを知っていたとあります。イエス様が安息日に病人を癒したら、きっとまた「あなたは安息日にしてはならないことをした」と言って非難するつもりだったのでしょう。イエス様はそうした彼らの思いを知っておられました。

 イエス様はパリサイ人や律法学者の思いを知っていたから、こうした論争を避けることもできました。右手のなえた人に向かって、「安息日が終わったら私の下に来なさい。私が癒してあげよう」と言うこともできました。しかしイエス様はそのような方法は取りませんでした。

 時に私たちは他者との不必要な論争を避ける智恵が必要です。しかし、時には正面から「それは間違いだ」と相手に指摘する勇気も必要です。人を恐れず、神様のみを畏れて歩む大切さを考えます。自分自身にとって、今は論争を避けるとこか、それとも正面から相手の間違いを指摘すべきであるか。それは神様に聴くべき領域です。自分の思いではなく、神様の御心がなされるように今日も御言葉に聴き従い歩みましょう。
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by carbondalle1996 | 2015-03-23 06:05 | 日記 | Comments(0)
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