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5つのパンと2匹の魚

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くすぶる燈心

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”いためられた葦を折ることがなく、
       煙っている燈心を消すこともない。” 
                          (マタイ12章20節)


 当時、イスラエルでは、パピルスの茎で籠を作っていました。虫が食ったものや傷の付いた材料は使い物になりませんから、パピルス職人はそのようなものを見つけると折って捨てていました。折るのは、良いものと混ざらないように区別するためでした。

 煙っている燈心、新改訳では「くすぶる燈心」と訳されています。私は以前、小さなろうそくに火を灯し、音楽を聞きながらぼんやり灯りを眺めていました。3時間ほどで火は消えるのですが、私はもっと燃えてほしいとローソクのロウを加えましたが、一旦消えかかった燈心はなかなか新品のようには灯りません。つまり燈心として役に立たなくなります。

 傷んだ葦も、くすぶる燈心も人々から役立たず、価値の無い物として捨てられてしまう物の象徴です。安息日に会堂で右手のなえた人がいました。パリサイ人や律法学者は、彼が癒されるよりも安息日に労働をしないことを善いとしました。それが彼らにとっての右手のなえた人の存在価値でした。なんと軽いものでしょうか。

 足がなえて立てない人、目が見えない人、口がきけない人、病気でずっと寝込んだ人。そういった人々は当時のユダヤ社会から何の生産性がない、社会の役に立たたない、価値の無い者として見られ、扱われておりました。そのような人々に対してイエス様は、あなたは高価で尊い、神様はあなたを愛していると言わんばかりに彼らを癒したのです。

 それは彼らの病気の身体を健康にした以上に、彼らの傷ついた心を癒し、彼らの心に神様の希望の光を灯しました。傷んだ葦を折るのではなく、傷を癒して再び籠造りの葦とし、煙る燈心を再び燃えて輝く新しい燈心として再創造されたのです。彼らはキリストにあって全く新しくされたのです。それはこの地に神の国をもたらすためだと聖書は言います。

 あなたは自分はもう駄目だ。もう存在価値が無いと考えていませんか。神様の目には、あなたは高価で尊い存在です。イエス・キリストに在るならば、あなたも新しく造られます。イエス様をあなたの心に迎え入れましょう。神様はあなたを愛しています。
by carbondalle1996 | 2015-03-26 06:13 | 日記 | Comments(0)
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