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5つのパンと2匹の魚

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クレネ人シモン

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”彼らがイエスをひいてゆく途中、シモンというクレネ人が郊外から出てきたのを捕えて十字架を負わせ、それをになってイエスのあとから行かせた。”(ルカ23章26節)

 イエス様が十字架に架かる前に一人の男性が登場します。それはシモンというクレネ人です。クレネは北アフリカにあるユダヤ人居住区の地名です。クレネから大勢のユダヤ人が過越の祭りを祝うためにエルサレムに上っていたのでしょう。このときシモンの目の前に十字架を背負ったイエス様がいました。イエス様は十字架の横木を担いで歩いていましたが、激しいムチ打ちの後だったのでイエス様は歩けずに倒れます。それを見ていたローマ兵がそばにいたクレネ人シモンに無理やり十字架の横木を背負わせました。

 シモンは思ったことでしょう。「どうして俺がこんな奴の十字架を代わりに背負わなければならないのか」と。人はだれでも皆、十字架に対して他人事です。自分には関係無い。自分は知らない。しかし、二千年経った私たちクリスチャンにとって、イエス様の十字架を担うことができたシモンは人類の中で最高の栄誉だと考えます。ですから世界中のクリスチャンはエルサレムに行くとヴィア・ドロローザ「悲しみの道」を、十字架を背負って行進します。それは自分もイエス様の担がれた十字架を背負いたいからです。

 シモンはこのときわからなかったでしょう。自分が神の御子イエス様の十字架を背負っていることを。しかし、聖書を読むとシモンの子供たちが教会に忠実に仕えたことを思わせる記事があります。クレネ人シモンは、この後十字架上のイエス様の言葉を聞き、回心したと思います。十字架の目撃者となったローマ兵は、「まことにこの方は、神の子であった」と告白しました。その告白の中にシモンもいたことでしょう。

 かつてイエス・キリストの十字架は、私たちにとっても他人事でした。自分には関係ないと考えました。しかし、私たちは目が開かれて、イエス・キリストの十字架は私の罪の身代わりであったと知りました。クレネ人シモンの経験がそのまま私自身の体験と重なったのです。それは全てイエスは主と告白する者が同じく体験することだと思います。ハレルヤ!
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by carbondalle1996 | 2015-03-30 06:33 | 日記 | Comments(0)
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