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信徒発見

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 江戸時代末期、日本とフランスの間で日仏修好通商条約が結ばれると、長崎にはフランス人が居住するようになりました。フランス人たちは日曜日に礼拝する教会がほしいと希望し、1865年に大浦天主堂が建立されます。フランス人のためにつくられた教会なので、当時は「フランス寺」と呼ばれていました。

 大浦天主堂は当時珍しい洋風建築だったので評判になり、近くに住む日本人の多くは見物に訪れました。プティジャン神父は訪れる日本人に教会を開放し、自由に見学することを許しました。プティジャン神父がフランス人のために建てられた天主堂を、興味本位で訪れる日本人に対して解放し、見学を許していたのには理由がありました。長崎がキリスト教殉教者の土地であることから、未だ信徒が潜んでいるのではないか、もしかすると訪れて来る日本人の中に信者がいるのではないかというわずかながらの期待があったからでした。

 はたして大浦天主堂の完成から一ヶ月後、事件が起こりました。1865年3月17日の午後、プティジャン神父が庭の手入れをしていると、やってきた15人ほどの男女が教会の扉の開け方がわからず難儀していた。彼が扉を開いて中に招き入れると、一行は内部を見て回りました。プティジャン神父が祭壇の前で祈っていると、一行の一人で杉本ユリと名乗る50代の女性が彼のもとに近づき、「ワレラノムネ、アナタノムネトオナジ(私たちの信仰はあなたの信仰と同じです)」と囁きました。

 つまりキリスト教を信仰しているということの告白です。厳しい禁教令と宣教師がいないという状況が250年間も続いたにもかかわらず、信仰が受け継がれているということが、このとき初めて外国人に対して明らかになったのです。プティジャン神父は非常に驚きました。そして杉本ユリは「サンタ・マリア像はどこですか」と神父に尋ねました。プティジャン神父は自分が思ったとおり、この地でキリスト教徒の信徒が潜んでいたことを喜び、彼らをマリア像の前まで導きました。彼らを聖母像の前に案内すると、「サンタ・マリア様だ。御子イエス様を抱いていらっしゃる」と喜びの声があがったといいます。」

 早速、プティジャン神父は「信徒発見」の仔細をヨーロッパへ書き送り、この手紙は大きなニュースになりました。そして「信徒発見」のニュースは、やがて当時の教皇ピオ9世のもとにも伝えられます。教皇ピオ9世は感激して、信徒発見を【東洋の奇蹟】と呼んだといいます。この3月17日は、現在カトリック教会で任意の記念日になっています。以後、続々と長崎各地で自分たちもキリシタンであるという人々が名乗り出てきた。プティジャン神父は見学を装って訪れる日本人信者に対し、秘密裏にミサや指導を行ったそうです。



 
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by carbondalle1996 | 2015-04-04 15:48 | 日記 | Comments(0)
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