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神の国の奥義

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 「種まきの譬え」は、マタイ・マルコ・ルカの3つの福音書に書かれているとても有名なお話しです。ある日、イエス様が群衆に向かって舟の上から種蒔きの譬えを話しました。何の種かはわかりません。小麦だったか、大麦だったでしょうか。野菜だったかもしれません。とにかく種を蒔きました。日本人だったら丁寧にそこに指で穴を作り、そこに種を数粒入れて土で覆います。ところがユダヤ人はおおらかなのでしょう。種をそのまま土の上に蒔きます。

 するとどうでしょうか。ある種は道端に落ちてしまいました。道端に落ちた種は鳥が来て食べてしまいました。ある種は土の薄い石地に落ちた為、根がないためにすぐに枯れてしまいました。またある種はいばらの地に落ちました。するといばらが伸びてふさいでしまいました。しかし良い地に落ちた種は実を結び30倍、60倍、100倍の収穫を得ました。

 これがイエス様の譬え話です。これだけを聞いてもさっぱりわかりません。ですから弟子たちはイエス様に近づいて「どうして彼らに譬えでお話になるのですか」と尋ねました。弟子たちの意図は、譬えではなく直接的なお話をしてくだされば人々はもっと理解したでしょうにという思いが込められています。これに対するイエス様の答えはどうでしょうか。

そこでイエスは答えて言われた、「あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。(マタイ13章11節)

 これが、イエス様が群衆に譬えでお話された答えです。群衆には天国の奥義を知ることが許されていないからです。ルカ福音書には神の国の奥義とあります。

 私たちが普通たとえ話をするときというのは、伝えたいメッセージを相手に分かりやすく理解させるために使います。昔の財務大臣が国の一般会計と特別会計の状況を「母屋でおかゆをすすりながら、離れではすき焼きを喰っている」と表現して、特別会計の無駄使いを国民に一瞬で広めたということがありました。このように譬え話は伝えたいメッセージを理解しやすくするために使います。

 ところがユダヤ人の場合は違います。ヘブル語の譬えという言葉には「覆い隠された」という意味があります。つまり伝えたいメッセージをあえて覆い隠して見えなくするのがユダヤ人の譬え話です。ここでは天国の奥義を隠すためにこの譬え話が紹介されました。

 私たちには天国の奥義、神の国の奥義は覆い隠されています。あなたはそれを知りたいと思いませんか?教会にはこの覆い隠された奥義が与えられています。この天国の奥義をあなたにも知ってほしいのです。どうぞ教会へいらしてください。神様が全人類に表さなかった奥義が教会に与えられています。

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by carbondalle1996 | 2015-04-27 06:03 | 日記 | Comments(0)
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