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5つのパンと2匹の魚

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わたしにあるものとは?

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おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。(マタイ13章12節)

 これはイエス様がよく語られた言葉で、タラントの譬えでも言っております。ここで「持っている人」と「持っていない人」とが登場します。一体何を持っており、何をもっていないのかが気になります。持っていない人は、持っているものまで取り上げられるという文章は、論理的に不可解です。持っていないのだから、取り上げるものもないとも考えられます。

 昔、私がアメリカに留学していた頃にBible Studyの時間にみんなでこの聖句を考えました。一人の若者が「これは信仰だと思う」と言いました。信仰がある人と、信仰が無い人。私はそれを聞いてなるほどと思いました。別の若者がこう言いました。「これは愛だと思う。愛は他者に与えれば与えるほど、神様が豊かに与えてくださるから。」その意見にもみんなで納得しました。

 ある教育者は、この聖句は教育現場で見られると言います。基礎を悟る子は応用ができるが、基礎がしっかり理解できないと応用もできない。またある経済学者は、これは経済の論理だと言います。富める者はいよいよもっと豊かになり、富まない人は持っているものも取られて無くなってしまう。このようにこの聖句は読む立場によっていろいろと解釈できる聖句です。

 それではこのときこの奥義を聞いた弟子たちのその後の人生はどうだったでしょうか。弟子たちは裕福となったでしょうか。賢い者となって応用が利いたでしょうか。彼らはみな最後には殉教の死を遂げて行きました。ペテロ自身が使徒行伝3章でこう言っています。「金銀はわたしにはない。しかし、わたしにあるものをあげよう。」 さて、このときペテロがもっていたものは何だったでしょうか。

 イエス様のみことばを聞いて、イエス様から与えられたもの。それはイエス様を信じるあなたが今もっているものです。ぜひあなたも考えてみてください。あなたがイエス様からいただいたもの。そのときあなたもペテロと同じように言うことができます。「金銀はわたしにはない。しかし、わたしにあるものをあげよう。」 
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by carbondalle1996 | 2015-04-29 05:52 | 日記 | Comments(0)
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