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5つのパンと2匹の魚

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毒麦の譬え

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また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。(マタイ13章24~26節)

 種まきの譬えでは、「天の御国は、良い種を良い地に蒔いた人に譬えられる」と言いました。そこには4つの土地がありました。1つ目の土地は道端でした。道端に蒔かれた種は、地に根を降ろす前に鳥が来て食べてします。2つ目の土地は石地でした。石地は土が少ない為、種はしっかりと根を降ろすことができません。そして陽が昇ると焼けて枯れてしまいました。

 3つ目の土地はいばらの地です。種は土地に根を張り芽が出るのですが、こんどはいばらが邪魔をして芽が成長しません。最後に良い地に蒔かれた種は、しっかりと根を張り、芽が出て成長し、30倍、60倍、100倍の実を結びました。

 ここでは福音という種を蒔かれた土地は私たち自身であり、福音を受け入れた私たちの中に神の国が大きく成長するというものでした。ですから種蒔きの譬えでは、視点は蒔かれた土地に置かれました。どのような土地か。神の国となるには、福音お種を受け入れる良い地であることが重要でした。

 そしてこの毒麦の譬えは、種まきの譬えを踏まえてのお話。もう私たちがどのような土地かということは問題ではありません。私たちはみな種を受け入れた良い地です。良い地ですからイエス様の言われたとおり、麦はすくすくと成長し、立派な穂を結びます。ところがそこには良い麦だけではなく、毒麦も生えていました。ですからこの譬えの視点は、神の国の成長と収穫に視点が置かれます。

 ここで毒麦という言葉が登場します。毒麦とは麦類の雑草です。育つ時期も姿も小麦と全く同じで見分けがつかないそうです。ですからこの譬え話にあるように、毒麦を抜いたと思ったら良い麦まで抜いてしまう恐れがあります。また根がからみあっているため、毒麦を抜くと一緒に良い麦まで抜けてしまいます。

 ところが実をつけると小麦と毒麦の違いが明白となります。毒麦は黒い角のようなものが穂のあちこちから顔を出すそうです。これを食べると手足が黒ずんだり、精神錯乱を起こしたりするそうです。ですから穂が実り、毒麦だと明白となってから、収穫して分けるのが得策なのです。

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by carbondalle1996 | 2015-05-11 06:44 | 日記 | Comments(0)
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