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5つのパンと2匹の魚

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主から目を離さず

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僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。(マタイ13章27~30節)

 僕たちはどうして毒麦が生えてきたのかと主人に聞くと、主人は「それは敵のしわざだ」と言いました。僕たちは自分の責任ではないと聞いて安心したと思います。主人は毒麦が生えた原因を知っていました。そして主人は、「収穫の時まで両方とも育つままにしておけ」と言いました。そして収穫の時が来たら毒麦は束にして焼き、麦は倉にいれなさいと言いました。

 ユダヤ人の譬えという言葉は、覆い隠すという意味です。私たちが使う譬え話は話し手の意図をわかりやすく相手に伝える意味で使いますが、ユダヤ人は、話し手の意図を隠すために譬え話を使います。この毒麦の譬え話も同様でした。ですから弟子たちは、群衆が帰った後でイエス様に譬え話の意味を尋ねました。

 そしてイエス様はこの解き明かしとして、良い種を蒔く者は人の子イエス様、畑は世界、良い種は御国の子であるクリスチャン、そして毒麦は悪い者の子だと言いました。良い土地に蒔かれた福音の種は芽を出していよいよ成長しますが、イエス様を信じたから全てが成功するということはありません。神様を信じたゆえに起こる問題や患難もあります。それが毒麦です。サタンはクリスチャンが穂を垂れる程に成長することを嫌いますから、私たちの成長の邪魔をします。

 しかし収穫の時が来たら、毒麦は集められて炉に投げ込まれ、良い麦は集められて倉に保管されます。ですから私たちは、主から目を離さず、主だけを見上げて歩めば良いのです。
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by carbondalle1996 | 2015-05-12 06:11 | 日記 | Comments(0)
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