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5つのパンと2匹の魚

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私たちが結ぶ実

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 この毒麦の譬え話を読んで一番心に残ったのは、「そのままにしておきなさい」と言った主人の言葉です。主人は敵が毒麦を蒔いたことを知っていました。僕たちは「それでは抜きましょう」と言いましたが、主人は抜く事を許しませんでした。実はサタンは毒麦を蒔いて抜くことを求めていたのではないでしょうか。僕たちが毒麦を抜くことはサタンの策略にはまることかもしれません。

 イエス様がこの毒麦の譬え話をしたときに、そこにイスカリオテのユダもいました。サタンがユダの中に敵意という毒麦の種を蒔いたことをイエス様は知っておられたのではないでしょうか。しかし、イエス様はそれが育つままにされました。なぜ自分を裏切るユダを取り除かなかったのでしょうか。イエス様はまさにこの譬え話のようにユダが育つままにしされ、神様の御手にゆだねました。

 私たちはどうでしょうか。教会という麦畑、社会という麦畑で毒麦を見つけることがあると思います。あの人はこういう悪い所がある。あの人は自分勝手で問題ばかり起こしている。そのような毒麦と思えるような人は私たちの周りにたくさんいます。自分の正義をもって人を裁いたり、意見が合わない人を取り除こうとした経験を誰もがもっています。

 実は私自身がそうでした。アメリカで救われて日本に戻ったとき、教会内の信徒さんたちを裁いてばかりいました。「これはおかしいんじゃないか。聖書の教えに違反している」と。その結果どうなったでしょうか。私自身が神様によって裁かれたのです。私たちが結ぶべき実は裁きではありません。私たちが主に在って結ぶべき実は御霊の実です。

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。(ガラテヤ5章22節)

 御霊の実の4番目に寛容とあります。寛容とは相手をありのままで受け入れる広いこころ。そのようなこころをもつならば、どんな毒麦であっても抜かずに受け止めることができます。毒麦を抜かずにそのままにすることは神様の御心なのです。イエス・キリストによって救われた私たちは、御霊の実を結ぶ生涯を送りましょう。
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by carbondalle1996 | 2015-05-14 08:14 | 日記 | Comments(0)
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