隅谷三喜男さんは東京女子大学の学長を務めていたとき、体調不良の為に入院検査をしました。二日後に奥様が病院に呼ばれてご主人が直腸癌であることを告知されました。隅谷先生ご夫妻はクリスチャンですので、かねてからもし癌の告知を受けたら正直に話そうと決めていたそうです。そこで奥様は御主人の隅谷先生に病名が癌であること。そして余命が1年であることを告げました。
このときの心境を隅谷さんはこう言っています。「別に告知されても動揺はおぼえなかった。ただもうしばらく生きたいと思った。いくつかのやりかけた仕事が残っていたからである。」事実、東京女子大学では入学試験が控えており、その後はアメリカの大学での講演も予定されており、隅谷さんは神様に『もう少し時間をください』と祈ったそうです。
そしてその年の入試が終わると手術をし、抜糸も終わる前にアメリカへ渡り幾つかの大学で講演活動をしたそうです。帰国した6月には2回目の手術をしたそうです。翌月の7月には新たな癌が発見され、また手術をしました。短期間に3回の手術をしました。余命1年と言われた隅谷さんですが、残りの仕事を考えるとあと5年生きたいと思い神様に「あと5年生かしてください」と祈ったそうです。そして自分で仕事の5年計画を立てたそうです。
1988年に東京女子大学の学長を辞任しましたが、なかなかミッションスクールとの関係が切れずフェリス女学院の理事や恵泉女子大学の理事長を務めたそうです。またキリスト教の海外医療協力隊の理事の働きもしたそうです。そして気がついてみると自分が立てた5年計画が終わっていました。そこで隅谷さんは3年計画を立てました。蔵書の整理だとか残務処理のために3年が必要だと考え、再び神様に「あと3年生かしてください」と祈りました。
隅谷さんの大好きな言葉があります。「死んだ魚は流れのままに流されるけれど、生きている魚は流れに逆のぼって泳ぐ。」つまり霊的に死んだ人々はただ世の中の流れに流されて行くだけだが、霊的に生きている人は神様から力を与えられるから、神様の使命に向かって進むことができるというものです。
そして隅谷さんは2003年の2月に天に召されました。つまり隅谷さんは病院から癌だと告知され、余命1年と宣言されてから17年間生かされたそうです。そしてその間も隅谷さんは毎週の礼拝に参加され、聖書を読んで祈るという生活を欠かさなかったそうです。隅谷さんは、朝毎に聖書から新しい力を得て、毎週の礼拝で神様によって新しくされて力を得たそうです。それが17年間も命が長らえた理由だと隅谷さんはおっしゃっています。