贖うというヘブル語の本来の意味は「覆う」という意味。例えば、私が転んで足をすりむいたとします。最初にすることは何でしょうか。消毒です。傷口を水で洗って消毒します。次にすることは何でしょうか。私は赤チンを塗りますが、我が家に赤チンがないのでマキロンを塗ります。そして最後に何をしますか。傷口にバンドエイドを貼ります。
これと同じように旧約時代にイスラエルの民が罪を犯して犠牲の動物の血を流して自分の罪を贖うという意味は、動物の血によって自分の罪を覆うという意味なのです。これは一時的ですから、彼らは毎年動物の犠牲によって罪を覆ったのです。いつまで犠牲の動物を捧げなければならなかったのでしょうか。完全な贖いがなされるまでです。それがイエス・キリストの十字架の血です。レビ記17章11節の聖句はそのことを啓示しています。
”肉の命は血にあるからである。あなたがたの魂のために祭壇の上で、あがないをするため、わたしはこれをあなたがたに与えた。血は命であるゆえに、あがなうことができるからである。”
私の友人がこう言いました。「キリスト教は血を流すから日本人に馴染まない。血を流すキリスト教は野蛮だ。」これも贖いを知らないゆえに起こる勘違いです。贖いの本当の意味を知るならば、それは野蛮ではなく神様の愛であることを知るのです。