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5つのパンと2匹の魚

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メシヤによる贖い

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しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。(イザヤ53章10~11節)

 人間の罪は動物の血によって贖われる。それが律法の教えであり、ユダヤ人はずっとこの律法を守り、毎年神殿に上り、動物の犠牲を捧げていました。しかし紀元前8世紀に預言者イザヤが登場しました。イザヤは動物の犠牲の血による贖いではなく、救い主メシヤの血によって贖いがなされるのだと預言しました。

 旧約時代の贖いは一時的でした。ですから毎年神殿に上って、犠牲の動物を捧げ、動物の血によって罪が赦されました。しかし、救い主メシヤの贖いは一時的ではなく、永遠に至る贖いです。これを英語でOnce for allと言います。たった一度の犠牲で、永遠の贖いが完成しました。それがイエス・キリストの十字架です。

 「義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う」とは、イエス・キリストを信じる信仰によって、多くの人々は義とされ救われるということ。これは、私たちがイエス様を信じることによって、罪赦され、義とされ、神の子とされるという神様の約束です。

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 太平山の急な山道を登ってゆくと、途中でなだらかな道に出ます。苦しくて、息があがっている私にとって、こうした道はしばしの休憩地となりました。
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by carbondalle1996 | 2015-08-05 06:18 | 日記 | Comments(0)
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