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5つのパンと2匹の魚

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信仰の冒険と奴隷の安泰

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 私たちは神様から既に祝福を受けているのに、それに気づかずに不平を言うという愚かな罪を犯してしまう者です。出エジプト記15章で意気揚々とエジプトを脱出したイスラエルの民が、エジプト軍が攻めて来たと知ると彼らは、「どうして私たちを導いたのですか。私たちは荒野で死ぬよりも、エジプトで奴隷であった方が良かった」と言いました。

 また神様が紅海を分けてイスラエルの民を救い出し、追ってきたエジプト軍は海の中に沈んでしまったという奇跡を見て、イスラエルの民は歌を歌って、踊って、神様を褒め称えました。そのわずか三日後に今度は荒野で水が飲めない状態に陥ると、「わたしたちは何を飲むのですか」とモーセを責めて神様に文句を言いました。これは私の想像ですが、「エジプトにいたら美味しい水も飲めたのに」と言ったと思います。

 こうしたつぶやきは、遠い昔のイスラエルの民のつぶやきではありません。そのまま私達自身のつぶやきです。私達も時々こうつぶやくのではないでしょうか。「ああ神様、私はクリスチャンになんてならなければ良かった。そうすれば、日曜日は遊びに行けるし、お酒も飲めるし、タバコも吸えるし、自分勝手に生きることができるのに・・・」

 私たちはイエス様を信じた結果、すべての問題が解決し、万事が上手く行くということはありません。クリスチャンになったからこそ、罪に対して敏感となり、この世での戦いや試み、試練に遭う機会は多くなるでしょう。こうして神様は私たちに信仰の試練を与えます。私たちは「信仰の冒険を選ぶか、奴隷としての安泰を選ぶか」決断しなければなりません。
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by carbondalle1996 | 2015-09-05 06:45 | 日記 | Comments(0)
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