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5つのパンと2匹の魚

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はらわたが傷むほど

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イエスは舟から上がって、大ぜいの群衆をごらんになり、彼らを深くあわれんで、そのうちの病人たちをおいやしになった。(マタイ14章14節)

 イエス様は彼らを見て深くあわれんだとあります。マルコ福音書には、「飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれんだ」とあります。群衆はまさに羊飼いの無い羊だったいうことです。誰について行っていいのかわからない。何処へ行けば良いのかわからない。方向性を失った状態です。イエス様はそのような彼らを見て深く憐れんだのです。

 この「誰について行っていいのか分からない」「自分が何処へ行ったら良いのか分からない」状態というのは、イエス様に出会う前に私の姿です。私も以前は、羊飼いのいない羊でした。しかし今はイエス様という羊飼いに出会い、緑の牧場へ導かれて、神様に向かって生きるという方向性を取り戻しました。
 
 ここで「深く憐れむ」と訳された言葉は、ギリシア語で「スプランクニゾマイ」という動詞です。これは「はらわた」という言葉で、目の前の人の苦しみを見たときに、自分のはらわたがゆさぶられる、はらわたが痛む、ということを意味する言葉です。ですから私たちが普段使う「憐れむ」とはちょっと違います。これはヘブル的表現です。

 私たちが苦しんでいる知人や友人を見て、「はらわた」が傷まないとしたら、イエス様のこの時の気持ちはわからないですね。私たちはどのような時に、自分のはらわたが傷むほど他人の苦しみを享受しているでしょうか。イエス様は私達の苦しみを自分の苦しみとしてはらわたが傷むほどに悲しんでくださっているのです。イエス様は愛なるお方です。

 私達もイエス様に従う者として、隣人の悲しみや苦しみを自分の苦しみとして受け止める者となりたいですね。そこに神様かから選ばれたクリスチャンの使命があるように思えます。
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by carbondalle1996 | 2015-09-22 06:36 | 日記 | Comments(0)
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