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5つのパンと2匹の魚

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恥は我がもの、栄は主のもの

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それからすぐ、イエスは群衆を解散させておられる間に、しいて弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸へ先におやりになった。(マタイ14:22)

 「それからすぐ」とありますが、この「それから」とは何を指しているでしょうか。それは「5つのパンと2匹の魚の奇跡」です。その奇跡が起こってすぐに、イエス様は「しいて弟子たちを舟に乗り込ませた」とあります。強いてとは強制的にという意味。つまり弟子たちはそこにもっと留まりたかったのでしょう。どうして留まりたかったのでしょうか。きっとパンと魚の奇跡を通して、そこでお腹を充たした群衆から誉められたのかもしれません。「あの人はイエス様のお弟子さんだ、あの人がパンを運んでくれた人だ」。弟子たちは鼻高々だったかもしれません。これはキリストの弟子としては危険信号です。

 私が神学生時代に授業でこんなお話を聞きました。昔、ある神学生がいました。その方は説教も讃美リードも祈りもとてもすばらしかった人です。ですからたくさんの教会から招待が届くようになりました。奉仕をした教会の中には彼のファンができました。信徒さんたちから「この神学生はすばらしい」とたくさんの賞賛を得るようになりました。

 やがてその神学生は神学校で学ばなくても、自分は説教も讃美も祈りも講師の神学校の先生たち以上にできると考え、神学校を辞めて自分で教会を開きました。やがて未信者の女性と結婚し、いつの間にか教会を閉じてしまい、献身生活を降ろしてしまいました。私たちがキリストの弟子だと思うならば、人々からの賞賛は注意しなさいという黄色信号だと考えましょう。

 ですからイエス様は強いて弟子たちを舟に乗せたのでした。弟子たちが群衆から賞賛を得て、高慢になることを防いだのだと思います。私たちは他者から誉められるとき、やはり嬉しいと思います。しかし、恥は我がもの、栄光は主のものです。主がすべてをなしてくださっていることを忘れないでいたいものです。
by carbondalle1996 | 2015-10-01 06:35 | 日記 | Comments(0)
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