ときに、パリサイ人と律法学者たちとが、エルサレムからイエスのもとにきて言った、「あなたの弟子たちは、なぜ昔の人々の言伝えを破るのですか。彼らは食事の時に手を洗っていません」。(マタイ15:1-2)
エルサレムからガリラヤ湖まで徒歩で3日の距離です。律法学者とパリサイ人は、エルサレムから3日の時間をかけてイエス様のいるカペナウムに来ました。イエス様に会ってメシヤが来られたことを喜ぶためにわざわざ3日をかけて来たのではありません。イエスを偽者のメイヤとして訴えるために来ました。ネガティブなエネルギーできました。ところがイエス様について訴える口実がなかったのでしょう。そこでイエス様の弟子が食事の時に手を洗っていないと弟子の行為をイエス様に訴えたのでした。
私達も食事の前に手を洗ってから食事をします。そうでなくても問題はありません。手を洗わないから罪だとは言いません。このとき弟子たちの中には食事前に手を洗わなかった人がいたのでしょう。パリサイ人たちはそれを不潔だと言って、衛生面で問題にしたのではありません。マルコ福音書には「不浄な手」とあります。つまり汚れた手で食事したと訴えています。ですからこれは衛生面の問題ではなく、宗教面での問題です。つまりきよめの儀式をせずに食事をしていたことを彼らは訴えたのです。