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5つのパンと2匹の魚

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昔の人々の言伝え

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ときに、パリサイ人と律法学者たちとが、エルサレムからイエスのもとにきて言った、「あなたの弟子たちは、なぜ昔の人々の言伝えを破るのですか。彼らは食事の時に手を洗っていません」。(マタイ15:1-2)

 ここでパリサイ人たちが持ちだしたのは「昔の人々の言伝え」つまり口伝律法です。口伝律法では食事の前に儀式として手を洗うことを命じています。例えば、外で知らずに異邦人と接触したかもしれません。また汚れた食物に触れたかもしれない。異邦人や豚肉などは汚れたものと言われていましたから、そのような汚れた手でパンを食べることは汚れが口に入ること。だから食事の前には儀式として手をきよめました。このとき手の指先からひじまでを水で洗ってきよめました。私たちのように石鹸で手のひらだけ洗うというのでは汚れはとれないのです。これは宗教儀式です。

 イエス様の公生涯は3年半でしたが、イエス様がモーセの律法を破ったということは1度もありません。パリサイ人や律法学者がイエス様に論争をしかけますが、それはいつも口伝律法です。彼らはイエス様からモーセの律法違反を見つけることはできませんでした。そしてイエス様は意志をもって大胆にいつも口伝律法を破りました。

 口伝律法とは神様が予言者を通して与えた戒めではなく、律法学者がモーセの律法の周りを囲むように柵を二重にも三重にもめぐらした戒めという柵です。これは人間が作った柵です。律法を犯さないように柵を張って、この柵に触れる者を律法違反として罪に定めました。イエス様の時代はこの「昔の人々の言伝え」と呼ばれた口伝律法がモーセの律法以上に権威を持ち、人々の生活を縛っていた時代です。

 旧約聖書には食事の前に手を洗えという戒めはありません。神様はそのようなことを言っていません。ですから口伝律法とは、人が神様という権威を使って人々を支配した宗教書だといえます。神様の戒めは私たちの魂を開放しますが、人間の作り出す戒めは私たちの心を縛ります。

 あなたは昔の人々の言い伝えと聞いて何を想像しますか?そうした教えに自分が知らず知らずに縛られているという経験はありませんか?人の教えは私たちを縛りますが、神様の教えは私達を開放します。神様の教えに従う者となりましょう。
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by carbondalle1996 | 2015-10-12 06:45 | 日記 | Comments(0)
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