そのとき、弟子たちが近寄ってきてイエスに言った、「パリサイ人たちが御言を聞いてつまずいたことを、ご存じですか」。イエスは答えて言われた、「わたしの天の父がお植えにならなかったものは、みな抜き取られるであろう。彼らをそのままにしておけ。彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むであろう」。(マタイ15:12-14)
イエス様のことばを聞いてパリサイ人たちは反発しましたが、イエス様は放っておきなさいと言いました。なぜなら天の父がお植えにならなかったものは、みな抜き取られるからだと言いました。パリサイ人や律法学者は、神様が植えたものではないと言いました。それらは裁きの時には、神様ご自身によって抜き取られてしまいます。
またイエス様は律法学者たちについて言いました。「彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むであろう」。律法学者やパリサイ人の教えに従って、イエス様をメシヤとして告白しなかった人々はみな、救いから漏れてしまい、永遠の滅びという穴に落ちてしまったのです。そして紀元70年にエルサレム崩壊によって、イスラエルの人々はエルサレムから追放され、まさにこの御言葉が成就したと言えます。
天の父が植えたものは永遠に残りますが、そうでないものは抜き取られてしまいます。歴史を見ると大帝国がヨーロッパ・アジアに興りましたが、それらはみな滅びました。そして今でも残されたものは何でしょうか。聖書はいつまでも残る者は信仰と希望と愛である。そして最も大いなるものは愛だとあります。愛は神です。愛を求め、神を求める者となりましょう。