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5つのパンと2匹の魚

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主人の食卓から落ちるパンくず

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すると女は言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます」。(マタイ15:27)

 このとき女性は「人を犬扱いするなんて、なんてひどい人」と言って怒りませんでした。イエス様の言葉をそのまま受けて、自分を小犬としました。その上で「でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます」と訴えました。

 礼拝の後で食事をしますが、するとドアの向こうで愛犬ドルチェが騒ぎ始めます。きっと臭いでわかるのでしょう。「ワタシモ欲しい」と言って騒ぎます。そして部屋に入れてあげると、床の上で騒ぎます。ドルチェはちゃんと主人の手に抱かれてスプーンで食事を頂きますが、もしパンなどがテーブルの下に落ちたら食べると思います。
 
 実はここで「でも」と訳されている言葉は本来「なぜならば」とか「だから」と訳される言葉です。しかし、そうすると会話が通じなくなるというので、「でも」と訳されています。しかし、ある学者が言うには、原典の言葉をそのまま訳した方が良い。そこに聖書の深い意味があるとも言っています。直訳しますと、「主よ、そのとおりです。だから、小犬は主人の食卓から落ちるパンくずをいただくのです。」

 私たち異邦人が救われたのも同じではないでしょうか。救われるべきユダヤ人の食卓から救いというパンが落ちたゆえに、私たちも救いの恵みに預かることが許されました。この恵みを感謝して、今日を歩みましょう。
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by carbondalle1996 | 2015-10-28 06:51 | 日記 | Comments(0)
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