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5つのパンと2匹の魚

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ありがとう。美しい子よ!

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 真山美保さんの作品『泥かぶら』という一人の顔のみにくい子どもの話がある。顔のみにくいが故に村の人々から嘲られ、子どもたちから石を投げられたりツバをかけられたりした。それを口惜しがっておこる少女の心はますます荒み、顔はみにくくなる一方だった。ところがある日のこと、その村に一人の旅の老人が通りかかり、竹の棒をふりまわして怒り狂う泥かぶらに向かって、次の三つのことを守れば村一番の美人になると教え、自分はまた旅をつづけるのであった。

 その三つのこととは、①いつもにっこり笑うこと。 ②自分のみにくさを恥じないこと。 ③人の身になって思うこと。少女の心は激しく動揺するが、美しくなりたい一心で、その日から 血のにじむような努力が始められる。彼女の顔からいつしか憎しみが去り、その心はおだやかになってゆく。明るく気持のよい少女は村の人気者となり、子 守にお使いにと重宝がられる者となったのであった。

 そんなある日、同年輩の娘が人買いに買われてゆくのを知った泥かぶらは、 喜んで身代わりとなり連れられてゆく。道々、楽し気に村の様子を話し、自分がかわいがった村の赤子たちについて語る少女の心はいつしか凶暴な人買いの心を動かしはじめたのであった。彼はあやまちを悔い、置き手紙を残して立ち去ってゆく。その手紙には、「ありがとう。美しい子よ!」と書かれてあった。そしてその時泥かぶらは、かつて旅の老人が約束した言葉を理解したのだった。

 実はこの「泥かぶら」こそ私たちの姿ではないでしょうか。私達はせっかく神様から美しい顔をいただいたのに、怒ってばかりのみにくい顔になっていないでしょうか。顔は心の鏡だと言います。心の美しさがそのままその人の顔の美しさとなって表れます。他人を赦せずに、いつも心で相手を恨んだり、妬んだり、怒ってばかりいると、その人の顔は泥かぶらのように醜い顔になってしまいます。あなたの顔はどうでしょうか?

 聖書には「いつも喜んでいなさい。絶えず祈り、全てのことを感謝しなさい」とあります。嫌な事をされてなぜ喜べるでしょうか。辛い時にどうして感謝できるでしょうか。神様はあなたを救うために御子イエス・キリストをこの地に遣わしました。それはあなたの心が喜びで充たされ、感謝で溢れ出るためです。神様はあなたの心を感謝と喜びで満たしたいのです。なぜならあなたの本当の顔は美しいからです。置き手紙に書かれていた「ありがとう。美しい子よ!」とは、実はあなたなのです。

 “わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。” (イザヤ書43章4節)

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by carbondalle1996 | 2015-12-20 06:26 | 日記 | Comments(0)
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