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からし種の信仰

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それから、弟子たちがひそかにイエスのもとにきて言った、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。(マタイ17:19-20)

 例えば、私達日本語にこれと似た慣用句があります。例えば「あの人は大きい」と言えば、体の大きさではなく人間性の大きさを意味します。逆に「あの人は小さい」と言えば、人間性としての器の小ささを言います。ならばどうすれば大きな人になれるかというと、これも難しい問題です。

 同じように信仰が大きいとは「立派な信仰」を意味する慣用句であり、信仰が少ないとは、「信仰が薄い」を意味する慣用句だったのではないかと考えられます。ですから当然のこととして立派な信仰が望まれます。しかしそれは信仰の量が問題ではないといいうことです。

 イエス様が言う立派な信仰とは、からし種のように小さな種であっても良いから、神様には不可能なことはないと信じ続ける心だと言っているのではないでしょうか。イエス様は弟子たちに「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移る。」と言っておられます。

 からし種は最も小さな種ですが、地に落ちて芽を出すならば、それは成長し大きな木となって、鳥が巣を作り、そこにたくさんの種を実らせます。現在目の前にあるのはからし種という小さな種出としても、信仰の目をもって視るならば、私たちはそこに大きな森を視ます。その森に住む多くの動物や鳥や昆虫。神様に不可能はない。信じない者ではなく信じる者になりましょう。
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by carbondalle1996 | 2016-01-26 06:30 | 日記 | Comments(0)
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