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5つのパンと2匹の魚

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OUT OF GANCHU

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すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた。(マタイ18:2)

 イエス様は弟子たちの質問に対して「天国では誰が一番大きい」とは言いませんでした。イエス様は小さな子供を呼び寄せて弟子たちの真ん中に立たせました。彼らはびっくりしたでしょう。どうしてイエス様は小さな子供を真中に立たせたのか。それはイエス様が聴覚ではなく視覚によって弟子たちに神の国の奥義をおしえるためでした。弟子たちの関心は大きな人になること。当時のユダヤ社会にあって子供と女性は数にかぞえられない存在。日本語の表現では「眼中に無い」存在です。

 私たちは知らず知らずにそういう目を持っています。例えば、私は少年野球をやっておりましたから、監督が選手を呼んでバッティングや守備の手本を見せるときに、必ず上手な選手を真中に立たせて手本として、こうやるのだとおしえます。ですからイエス様もこのときペテロを真中に立たせて、「ペテロのこういうところが良い所だから、みんなペテロを見習ってこうなりなさい」と言えば、わかったかもしれません。しかし、イエス様が手本として呼んだのは、弟子たちのまったく眼中になかった、張り合い、競い合う対象になかった幼い子供でした。弟子たちはどんなにか驚いたことでしょう。

 私が小学校3年生の時の出来事です。友人みんなでボール遊びをしていました。そのとき一人の友達が「僕も入れて」と言ってきました。彼はクラスの中であまり目立たない子供でした。私たちの中でまるで「眼中に無かった子」です。私たちの答えは、「入れてあげない」でした。その光景を見ていた担任の先生が来て、その子と一緒に遊び始めました。大好きな先生と一緒に遊ぶ光景を見た大勢のクラスメイトが集まりました。

 気がつくとその子を「入れない」と言った私たち以外のクラスメイト全員が先生と一緒に遊んでいました。バツが悪くなった私たち悪童は遊びを止めて先生に言いました。「僕たちも入れてください。」先生は「おう、入れ」と言いました。遊びが終わって先生が私たち悪童に言いました。「友達を仲間外れにするな」。

 私たちは普段、眼中に無いという行為をどこかでしています。それはしている方は気がつきません。しかし、された子はずっとおぼえています。イエス様はあなたの眼中に無い人をあえて用いるということをなされます。それはあなたに知ってもらいたい真理があるからです。

 小説「宮本武蔵」を書いた吉川英治は、「我以外皆我師」という言葉を人生の教訓とされました。私以外、出会う全ての人から学ぶ姿勢を持つならば、私たちは多くのことを学び価値ある人生を歩むのではないでしょうか。眼中に無いという眼ではなく、すべての隣人を眼中に置き、他者から学ぶ謙虚さをもちたいものです。
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by carbondalle1996 | 2016-02-09 06:33 | 日記 | Comments(0)
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