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5つのパンと2匹の魚

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責任を逃れたがる人だから

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あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。(マタイ18:12)

 小説「三四郎」を中学1年生のとき読んで全くわからなかったのですが、三十数年が経ちこうして聖書と向き合って改めて「三四郎」を読むとそのテーマである「迷える羊」が少しですが、理解できるようになりました。主人公は三四郎という熊本から出て来た学生です。この三四郎が東京で上流家庭に育った美禰子という女性に恋をします。美禰子はある意味完璧な女性です。

 あるとき美禰子が三四郎と祭りの途中で仲間とはぐれて迷子になりました。そのとき三四郎は「みんなが僕らを探しているでしょう」と言います。それに対して美禰子は、「責任を逃れたがる人だから、ちょうどよいでしょう」と答えます。会話になっていない会話がここで生まれました。

 続けて美禰子が三四郎に「迷子の英訳を知っていますか」と尋ねます。答えられない三四郎に美禰子は、「迷える子 ストレイシープ(Stray Sheep)」と教えます。「Stray」とは「道に迷う」とか「はぐれる」という意味です。「Sheep」は羊。ですから直訳は「迷える羊」であって「迷子」という意味ではありません。

 先日、友人のアメリカ人に「迷子」の英語訳を聞きました。すると「迷子」という英語は無いそうです。私は彼に「道に迷ったら何と言うのか」聞くと、「Lost」と言うそうです。「I lost!」で意味をなすそうです。そこで私は「strayではないのか」と聞くと、「strayは目的地が決まっているとき、そこから外れるときに使う言葉で、自分が今どこにいるのかわからない時はLostだ」とおしえてくれました。

 私たちは帰るべき目的地があります。それは天国という目的地。しかし、神様を忘れた人間はその目的地を失い、道からはぐれてしまいました。まさに「stray sheep」の状態です。そのような私を神様が探し出し、見つけ、群れに連れて帰ってくださったのです。そして私は今、主の声を聴き、天国という目的地へ向って歩んでいるのです。
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by carbondalle1996 | 2016-03-10 17:52 | 日記 | Comments(0)
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