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5つのパンと2匹の魚

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われは我が咎を知る。

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 三四郎は美禰子に対して恋心が生まれますが、それは口に出せません。そのようなときに美禰子が結婚するという話を三四郎は聞きます。三四郎は美禰子に会いに行くのですが、このとき三四郎は美禰子が教会に通っていることを初めて知ります。そして教会に行き、礼拝が終わって会堂から出てきた美禰子に三四郎は「結婚なさるそうですね」と言います。三四郎のこの言葉に美禰子の消え入るような声でこうつぶやきます。

「われは我が咎を知る。わが罪は常に我が前にあり。」(詩篇51篇3節)

 この詩篇51篇は著者であるダビデがウリヤの妻バテシェバと姦淫の罪を犯し、預言者ナタンに糾弾されたときに悔い改めて歌った讃美です。美禰子は自分の中に罪があることを知っていました。しかしその罪が何なのか、読者はわかりません。

 そして物語の最後は、美禰子が結婚し、展覧会に出品された美禰子を描いた絵に三四郎は、「森の女という題が悪い」と言います。「それじゃあ、どんな題がいいんだ」と問い返す友人に三四郎は何も答えず、ただ口の中で「ストレイシープ、ストレイシープ(Stray Sheep、Stray Sheep)」と繰り返して物語は終わります。

 私は12歳のときにこの小説「三四郎」を読んで意味がわかりませんでした。この小説の背後には、聖書の教える「原罪」があり、それを夏目漱石は主人公の口を通し「迷える羊」というテーマで書いたのだと推察します。夏目漱石がこの小説を通して問いたかった問題は何なのでしょうか?12歳の私には「ストレイシープ」という言葉だけが残った小説「三四郎」でした。


 
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by carbondalle1996 | 2016-03-11 15:57 | 日記 | Comments(0)
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