ブログトップ

5つのパンと2匹の魚

fivebread.exblog.jp

責任を逃れたがる人だから

f0229700_1658275.jpg


あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。(マタイ18:12)

 美禰子が悩んでいた原罪。菊人形の祭りの日に仲間からはぐれたとき、「みんなが僕らを探しているでしょう」と言う心配する三四郎に美禰子は、「責任を逃れたがる人だから、ちょうどよいでしょう」と言いました。この会話は三四郎のことばに対しての答えとして、理解に難しい会話です。

 普通ならば、「みんなが心配しているから」と言えば、「そうね」と同意するか、「そんなことはない」と否定するかです。しかし美禰子は、そのどちらでもない答えを三四郎に提供しました。三四郎には理解できなかったでしょう。読者もまた理解できない美禰子の言葉です。しかし、美禰子が悩んでいた問題が見えてきたときに、この言葉の意味も少しですがわかるような気がするのです。

 美禰子が言う「責任」とは、漱石が悩んだ「罪に対する責任」だと思います。この世の人々は罪に対する責任から逃れたがる。責任を負いたくないから、罪など知らないと罪を犯し続ける。しかし夏目漱石は自分の中にある罪に真剣に悩みました。世の人々のように罪の責任から逃れることができず、正面から向き合ったのではないでしょうか。

 この罪を聖書は人間の原罪と呼びます。だから罪の責任から逃げることができない。自分は「迷える羊」だと理解していたと思います。美禰子の悩みは人間の原罪であり、それは漱石自身の問題だったのです。美禰子は迷っていました。まさにStray Sheepだったのです。
[PR]
by carbondalle1996 | 2016-03-14 16:48 | 日記 | Comments(0)
<< 原罪の告白 神様にプロポーズ >>