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5つのパンと2匹の魚

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ここに神の愛がある

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 あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。(マタイ18:12)

 人間は罪に対する責任を逃れたがります。しかし、全ての人は神様に対して自分が犯した罪について責任を問われる時がきます。それが最後の審判です。私たちは自分の罪の責任を問われたなら、地獄に堕ちるしかない者です。しかし、羊飼いなるイエス様は私たちの罪の身代わりとなって十字架に架かってくださいました。その結果、私たちは永遠の命に預かる者となったのです。ここに私たちが希望に生きる理由があります。

 私は夏目漱石という人を考えるときこのイエス様の絵を思い出します。漱石はずっとイエス様が戸を叩いているのを聞いていたのではないでしょうか。しかし、どうしても自分の心の戸を開けることができませんでした。その結果、絶望へと堕ちてしまったのでだと思うのです。

 私はかつて美禰子が言う「迷える羊、stray sheep」でした。しかし、そのような迷い出てしまった私をイエス様はどこまでも熱心に探し求め、私を見つけ、そして捕まえてくださいました。ですから私はもう「迷える羊、stray sheep」ではありません。

 イエス様という良き羊飼いの声に聞き従って歩む羊です。もう迷い出ることはありません。イエス様が導いてくださる天国という目的地へ歩む羊です。「三四郎」を読んで、イエス様に捕まえられたことがどれほどの喜びであるかを改めて知りました。

 私たちは自分の努力や熱心によって神様を見出したのではありません。神様の熱心が私という迷える羊を探し求め、見出してくださったのです。ここに神の愛があります。
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by carbondalle1996 | 2016-03-16 12:56 | 日記 | Comments(0)
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