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聖なる国民とは

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 昨年、イスラエルを訪問した時、一人のユダヤ人婦人が発した言葉に衝撃を受けました。彼女はこう言いました。「イスラエルはユダヤ人だけのために建てられた国ではない。中東諸国のためでもない。世界の祝福のために再建された国である。」ユダヤ人は先祖アブラハムが創造主と結んだ永遠の契約のゆえに、世界の諸民族の祝福のために献身してきた民族だからこう言えるのです。

 「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。」とあります。(第一ペテロ2章9節)

 「聖なる国民」とは、特定の民族を指すのではなく、民族を超えて繋がるクリスチャンのこと。悲しいことに現在、日中韓の関係が悪化しています。この3カ国のクリスチャンが目指すべきことは、自分たちが「聖なる国民」であるという自覚を持つ事です。国の間に問題があっても、クリスチャンは「聖なる家族」として国や民族を超えて繋がるべきです。

 さて、「聖なる国民」の戦いは「主の戦い」です。パウロはエペソ書で戦う敵は、「この暗闇の世界の支配者たち、もろもろの悪霊」と言っています。私達クリスチャンが敵を見誤って、血肉の戦いをすれば必ず分裂します。聖書の中で「主の戦い」を高らかに宣言したのはダビデです。ダビデはペリシテ軍の戦士ゴリヤテに向かって叫びました。「この戦いは主の戦いだ。主はおまえたちを我々の手に渡される。」このときイスラエル兵がゴリヤテを見て意気消沈していた中で、ダビデだけがこの戦いが「主の戦い」だと自覚していました。

 ダビデがこのとき戦った「エラの谷」を訪れた時、一人の牧師先生がその場でダビデの言葉を朗読しました。それを聞いた私は胸が熱くなり、あることに気づきました。それは、ダビデの宣言はペリシテ軍とゴリヤテに向けられたものではなく、背後で意気消沈しているイスラエル兵たちに向けて語られた宣言だったのです。エラの谷で叫ぶと、その声は返り、背後にいる者の耳に届くのです。

 私達「聖なる国民」に求められているのは、民族や国家の対立を超えて、「主の戦い」へと導いて行くこと。個人の戦いとして戦うから恐れ、意気消沈するのです。「この戦いは主の戦いだ」と自覚すれば、真の敵が特定され、神様の約束された勝利へと進んで行けるのです。「聖なる国民」として「主の戦い」に加わりましょう。

     ~BFP・東京ハイナイト集会より~
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by carbondalle1996 | 2016-03-20 13:15 | 日記 | Comments(0)
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