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5つのパンと2匹の魚

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どん底からの回心

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 私の親友は、一つ年下の小学校六年生。弟のような、分身のようなかけがえのない存在だった。相撲の地方巡業を二人で見に行った翌朝四時半、叩き起こされた。「大変だ!恒夫くんが死んだ!」びっくり仰天して駆けつけた。「恒夫くん、目を開けて!僕だよ!」 どんなに呼んでも、叫んでも、彼は帰ってこなかった。こんなことってあり得ない。「恒夫くん、どこへ行くの?」 お別れのとき、棺の彼に何度聞いても返事はなかったが、「お前が死んだらどこへ行く?」と心に反問する声が響いた。次から次へと悪行が思い出され、「お前は地獄行きだ」と決めつけられた気がした。

 「地獄は嫌だ!」なんとかしなくてはと、曹洞宗の教えに従い、二年間、難行苦行を重ねた後に、僧侶と神主に尋ねた。「救いの到達点まで、私はどのくらい近づいたでしょうか?」答えは絶望的だった。「人間は死んでみなければわからん。」 ならば「死んでみよう!」と遺書を残し、最終列車に飛び込んだ。ところが何と私の体は二本のレールの間に入り、列車はゴォーッと私の上を走り去った。無傷でその場に残され、私は 死神からも見放されたのかと打ちひしがれた。家に帰ると、机の上の遺書は、誰にも気づかれず、そのまま置かれていた。

 大晦日の夜、除夜の鐘とともに煩悩を取り去ってもらおうと寺に向かっていると、教会に向かうクリスチャンの上級生に出会った。「有賀、お前どこへ行く?」「お寺だ!」「何のために?」「罪が赦されたい。死んでもなくならない命がほしい。」「それなら、教会だ。有賀、一緒に行こう!」「嫌だ、俺はお寺に行く。」「いや、教会だ」「嫌だ!お寺だ。」「いや、教会だ!」 私は彼の得意の一本背負いで投げ飛ばされ、無理矢理にキリスト教会へ連れて行かれた。彼は柔道部員だった。

 “人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。”(ヨハネ3章3節)生まれて初めて行った教会で聞いた神のことばによって、①本当の神とは、八百万の神ではなく、天地を創造された唯一の神であること。②人間か神から離れ、自己中心で自分勝手に歩む罪人であること。③目に見えない神が、人の姿になってこの世に来られ、人の罪の身代わりとして十字架にかけられ、葬られ、三日目に甦られたこと。④難行苦行ではなく、ただ信じるなら即座に救われることを知った。

 私は涙とともに、罪を一つ一つ悔い改め、イエス・キリストを自分の救い主、人生の主として受け入れた。「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」という聖書の御言葉によって、六十年以上、どんなに揺すぶられても変わることなく、この救いの確信はますます強くなっている。 

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by carbondalle1996 | 2016-04-10 17:06 | 日記 | Comments(0)
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