ブログトップ

5つのパンと2匹の魚

fivebread.exblog.jp

ねたましく思うのか?

f0229700_441888.jpg


自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。(マタイ20:15)

 今日はこの「ねたましく思う」という言葉に注目したいと思います。この「ねたましく思う」というギリシア語は「目が悪い」という言葉です。そして「気前よく」というギリシア語は、単なる「善い」という意味。つまりこの主人は、「わたしが善い者であるからといって、あなたの目が悪くなるのですか」という意味です。この「目が悪い」という言葉を聞くとすぐに思い出す聖書の御言葉があります。

目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。(マタイ6:22-23)

 私たちの人生を真っ暗にしてしまう原因は目にある。目が悪いことが人生を真っ暗にしてしまう原因である。その目の悪さとは他人を「妬む心」が原因だと言えます。そのために本来見えるべきものが見えない。つまり妬みが原因となって、人生を真っ暗にしてしまっている。朝6時から働いた労働者は悪い目を持っていました。それは他人を妬むという目でした。その結果、夕方5時から働いた労働者と自分を比較して、他者を妬み、主人に不平を言って、自分の人生を真っ暗にしているのです。私たちがもっている心の目が澄んでいるか、悪いかによって人生が大きく変わってしまいます。

“肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。”(ガラテヤ5:19-21)

f0229700_444092.jpg

[PR]
by carbondalle1996 | 2016-06-10 04:05 | 日記 | Comments(0)
<< 目が澄んでいたら 秋田朝祷会 in 祈りの家 >>