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5つのパンと2匹の魚

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水上バス

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 アガサ・クリスティーの作品に「水上バス」という短編小説があります。主人公の女性は、クリスチャンで慈善事業によく献金する信仰の持ち主。修道女のように自分もなりたいと思い献金します。しかし、この女性にとってどうしてもできないことが一つありました。それは「本当の愛に生きること」です。彼女は他人に触れることも、触れられることも嫌でした。ですから他人に触れないで遠くから献金を送ることで自らを慰めていたのです。実際に自分が他者に触れて愛に生きることができないのです。

 マザー・テレサは「不幸な人々の面倒を見るよりも、人を愛することが大事だ」と言いました。人々の面倒を見ることは愛が無くてもできます。しかし、ハンセン病患者に触れることは、愛がなければできません。主人公の女性ができなかったのはまさにこれでした。この「触れること」がどうしてもできなかったのです。

 ある日、人間関係にすっかり疲れてしまったこの女性は、無人島に逃げたいと思いました。しかし、ロンドンに無人島はありません。仕方なく、テムズ川の水上バスに乗りました。デッキでは寒い風が吹き、乗客は風を避けて船尾の方に集まりました。彼女は人々を避けて船頭の方に行きましたが、そこに一人の東洋人が立っていました。ラシャの生地のような一枚織りの布を身にまとっている。彼女はその東洋人の着ている上着の素晴らしさに心が惹かれます。そして、ふとその人の衣に触りました。彼女は生まれて初めて自分から人に触れたのです。

 彼女は結局、その東洋人が誰であるか、顔を見ることがありませんでした。しかし、その人に触ってバスを降りた時に、初めて彼女は自分が変わったことを知りました。生まれて初めて、他人に触れて愛することの喜びがわかるようになりました。自分が一体何を求めてきたかが、よくわかったというのです。

 水上バスが目的地に着き、乗客がみな降りた後で水上バスの係員は、どうもおかしいと首をかしげました。デッキには8人の乗客がいたのに、降りるときに受け取った切符は七枚しかありません。船長に尋ねると、「おまえがぼんやりしている間に降りたのだろう。そうでなければ、水の上を渡っていったかな?」と言って笑いました。この船長の笑い声でこの小説は終わります。

 作者のアガサ・クリスティーは、イエス・キリストに触れることなしに、私たちが真実の愛に生きることはできないのだとおしえているのだと思います。それはイエス・キリストに触れるというよりも、むしろ主に触れて頂いたと言った方が正しいのかもしれません。主に触れていただき、隣人を愛する者とさせていただきましょう。

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by carbondalle1996 | 2016-06-12 06:45 | 日記 | Comments(0)
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