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5つのパンと2匹の魚

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後になってわかる世界

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さて、イエスはエルサレムへ上るとき、十二弟子をひそかに呼びよせ、その途中で彼らに言われた、「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子は祭司長、律法学者たちの手に渡されるであろう。彼らは彼に死刑を宣告し、そして彼をあざけり、むち打ち、十字架につけさせるために、異邦人に引きわたすであろう。そして彼は三日目によみがえるであろう」。(マタイ20:17-19)

 イエス様は19章でガリラヤ地方を去ってヨルダン川を渡り、ヨルダン川の東にあるペレヤ及びユダヤ地方で宣教の働きをしていました。季節はもうすぐ過越の祭りが始まる3月初旬だと思われます。イエス様は弟子たちにエルサレムに上るという目的をお話しました。このときイエス様はエルサレムに上るが、そこで祭司長や律法学者たちの手に渡されて、辱めを受け、十字架に就けられ、死に渡され、三日目によみがえるとお話されました。

 しかし、そのような話をされても弟子たちはまったく理解できませんでした。当然だと思います。人は未来の出来事を言われてもわからないものです。弟子たちがこのことを理解したのは、イエス様の復活以降です。弟子たちは、イエス様がエルサレムに上り、そこで御自身がメシヤであることを宣言し、メシヤ王国の到来を告げると考えていましたから、祭司長や律法学者に渡されて、ムチ打たれて、十字架に架けられるというのは、想像もできない言葉でした。ですからイエス様のお話を弟子たちはまったく理解できませんでした。

 聖書のみことばを読んでいても、意味がよく理解できない箇所があります。特にこれから起こると言われる黙示録などの預言書。聖書は未来に起こることをまるで過去に起こったように書いています。私達には理解に難しいものですが、そのときが来たならば「ああ、このことだったのか」と理解できます。ですから今は信仰によって信じるしかありません。それが幸いな道です。
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by carbondalle1996 | 2016-06-13 08:04 | 日記 | Comments(0)
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