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5つのパンと2匹の魚

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人の子がきたのも

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そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた、「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者たちはその民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。あなたがたの間ではそうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。(マタイ20:25-28)

 このイエス様のことばを聴くときに私たちは慰めを受けます。自分がもし他人に嫉妬しているなら、自分が今もし隣人に怒っているならば、赦していないならば、私がへりくだって隣人に仕えていないからではないか。自分の中で人から認められたい、褒められたいと願い、褒められないと嫌になってしまう。そこに自己中心の罪があるのではないでしょうか。イエス様は仕えられるためではなく、仕えるために来られた。私もまた自己中心の自分を十字架に着け、キリストの命で生きたいと思います。

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。(ガラテヤ書2章20節)

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by carbondalle1996 | 2016-06-23 08:12 | 日記 | Comments(0)
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