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5つのパンと2匹の魚

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シェマー・イスラエル!

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”イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。”(マタイ22章37節)


これは最初のことば「イスラエルよ聞け」、原文では「シェマー、イスラエル」です。ユダヤ人たちにとっては「シェマー」と言えばこの御言葉と答えるほど有名な御言葉です。敬虔なユダヤ教徒は朝と夕方にこの御言葉を読む生活をしていました。ですからこの教えはユダヤ教の根幹を成す教えなのです。テフリンという箱を「目の間に置いて」いつも身につけ、また家の扉にはメズーサという箱を取りつけました。これらの箱の中にこの御言葉が書かれた紙が入っている。


ユダヤ人は家に入るときにこのメズーザに触れてから入ります。それは読むことを意味する。申命記の【主】はヤハウェ。神様の名前で契約を守る神を意味する。「心をつくし、精神をつくし、力をつくして」の直訳は、心の全てで、魂の全部で、そして豊かさのすべてでヤーウェなる神を愛さなければならない。この意味は、人間存在の全てをかけて神様を愛することを命じた。

 どうして神様は人間存在の全てをかけて神様を愛することを人間に命じたのでしょうか。人間存在の全てをかけて神様を礼拝することではなく、人間存在の全てをかけて神様に尽くすことでもなく、神様はご自身を愛することを命じました。なぜでしょうか。神様を愛するとはどういうことでしょうか。

 聖書からその答えを導き出すならば、「神は愛なり」ということ。神様は愛そのものであるから、私達人間にも愛を求められた。もう1つ考えられることは、コリント人の手紙にあるように、大いなるものは信仰と希望と愛の3つで、その中で最も大いなるものは愛。愛を求めなさい。ゆえに神様は私たちに愛することを命じられている。

 そしてもう1つ考えられることは、神様ご自身がその存在のすべてをかけて私達一人一人を愛しているからではないでしょうか。神様は一人子なるイエス・キリストを世に遣わして、十字架にかけるほどに私達人間をそのすべてを捨てて愛してくださった。ゆえに私たちも全てをもって神様を愛するのだと思います。私たちが神を愛したから、神が私たちを愛してくださったのではなく、神様がまず罪人の私たちを愛してくださったから、私たちは神様を愛することができるのです。





by carbondalle1996 | 2017-01-22 18:46 | 日記 | Comments(0)
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