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5つのパンと2匹の魚

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2017年 04月 09日 ( 1 )

刀を鞘に収める方法

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真剣を用いる居合の稽古は、当然のことながらこの上なく真剣なものだという。段を持つ知人に特に留意すべき点を尋ねると、意外なことに「刀を鞘(さや)に収める際、心に揺らぎがあれば自らの左手を切り込んでしまう」との答え。苦笑しながら、証拠の古傷を見せてくれた。抜くときより、収める方が難しい。これは議論や駆け引きなどの場合でも同じなのかもしれません。(日本経済新聞コラムより)


都議会は百条委員会を開き元都知事やその側近や幹部を呼んで豊洲問題の解明を求め、国会は証人喚問を開いて籠池氏を詰問し国有地払い下げ疑惑の糾明を計ったが、真相の究明には至らなかった。どちらも抜いた剣をどのように収めるかに苦慮しているように見えます。百条委員会も証人喚問も、どちらも議会に与えられた天下の名剣ゆえに、収め方を間違えないでほしいですね。


ロシアの文豪ドストエフスキーは、1849年に思想主義者として逮捕されました。彼は死刑判決を受けるも、銃殺刑直前に皇帝の特赦を受け、減刑されシベリア流刑となります。流刑地で一冊の聖書が手渡され、彼はキリストに出会い、社会主義思想からキリスト教思想へと変えられました。彼の上で抜かれた銃殺刑という剣は、「特赦」という形で鞘に収められ、彼の人生を180度変えました。

私たちの人生も同じです。神様に背を向けて歩み、罪を犯して生きてきました。義なる神様は、人類の罪を裁くために正義の剣を抜いて大上段に構えたでしょう。しかし神様は、抜いた剣を私たちの上に振り下ろさず、私たちの身代わりにご自身の一人子イエス様を十字架に架け、この方に全人類の罪を負わせました。神様の裁きの剣は、イエス・キリストの十字架の上に下ろされました。こうして私たち人類に向けて抜かれた神の剣は、十字架の愛という「特赦」で鞘に収められました。


“神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。”  (ヨハネ3章16節)


今週は受難週です。イエス・キリストの受難を偲びつつ日々を過ごしましょう。「私たちは人を好きになることはできないが、愛することはできます。」今週もあなたの愛を、あなたが好きになれない「あの人」に届けてみては?「おはよう」と声をかけるだけでも大丈夫です。必ず奇跡が起こります。


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by carbondalle1996 | 2017-04-09 18:02 | 日記 | Comments(0)