ブログトップ

5つのパンと2匹の魚

fivebread.exblog.jp

<   2013年 05月 ( 16 )   > この月の画像一覧

福音のはじめ

f0229700_18474.jpg


 ローマ皇帝こそ神と叫ばれ、神と拝むことを強制されていた時代に、マルコは大胆にイエス・キリストこそ神の子だと宣言したのでした。当時使われていた福音とは、皇帝に子供が生まれたときに、「良きおとずれ」として使用されていました。しかし、マルコは「皇帝よ、それは我々にとっては福音ではない。本当の福音とは、イエスが神の子として来られたことなのだ」と。それこそ良きおとずれであり、福音なのだ。そして、今、まさに福音は始まったのだと宣言したのです。そこにはかつて、伝道旅行から逃げ出してしまった姿は見当たりません。勇敢な勇士の姿です。どうしてそのように変えられたのでしょうか。
 マルコ自身が福音の中に立ち続け、福音の中に自分の全存在を投入したのです。福音とはそういうもの。福音とはただ読むだけではない、聴くものではない。福音とはまさに体験してゆくもの。それではどうやって福音を体験するのか。それは日々聖書を読むことです。そして祈ること。そして聖書を通して語られる御言葉に聴き従うこと。御言葉に聴き従うとは、ときには恐れが生じます。しかし、イエス様の御声に聴き従ったときに、私たちは5つのパンと2匹の魚から5千人を養われたような奇跡を体験します。それこそマルコがここで紹介している福音です。

神の子イエス・キリストの福音のはじめ。(マルコ1章1節)
[PR]
by carbondalle1996 | 2013-05-29 18:04 | 日記 | Comments(0)

聖ポリカルプ

f0229700_18114383.jpg


 紀元4世紀頃に書かれたユウセビウスの「教会史」の中にこのような記事があります。使徒ヨハネの弟子でポリカルプという人がいました。彼は86歳まで生きましたが、その晩年において大迫害が起こりました。そのときこの老人を捕らえる兵士が、こんな老人を殺すには忍びないというので、口先だけでもいいから、「キリストを捨てます」と言え。そうしたら助けてやると言いました。あんまりよぼよぼしていて哀れだから、同情心を起こして、兵士がそう言って勧めたのです。ところが老人ポリカルプは答えました。「86年間、私はキリストに仕えて来た。キリストは1度も私に誤りをさせ給わなかった。どうして私は自分を救ってくれた主を今になって冒涜することができようか」と。こうしてポリカルプは殉教を遂げました。
 私はこのポリカルプのお話が大好きです。ここに信仰者の姿を見ます。
[PR]
by carbondalle1996 | 2013-05-28 18:07 | 日記 | Comments(0)

愛する息子

f0229700_2119593.jpg


 息子の寝顔を眺めながら、つくづくおもしろい顔をしているなあと思います。親バカなのでしょうが、息子の寝顔を見ていると飽きないと思います。 いじめっ子の私は、息子がスヤスヤと寝ていると、無性にいじわるをしたくなります。寝顔に顔を近づけて、「起きろ!起きろ!」と。しかし、彼はもうすでに我が家の王様のごとく、父親のいじめにも、「我関せず」とばかりに薄目を開いて、また寝てしまいます。うーん。
 
 天の父なる神様は、私のようにいじめっ子でもなければ、子供の泣き声はわからないとはおっしゃらないでしょう。私たちが悲しくて泣いたなら、一緒に涙を流しなぐさめてくださるお方です。そして、私たちの心の奥にしまいこんだ、どんな悲しみや苦しみでも、ちゃんと理解してくださるお方です。そして、無理やり私たちを起こそうとされる方ではなく、私たちの霊の目が開かれるその日をじっと待っておられるのです。

“あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者。”(マルコによる福音書1章11節)
[PR]
by carbondalle1996 | 2013-05-27 21:19 | 日記 | Comments(0)

主よ、何処へ

f0229700_22175523.jpg


よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」。(ヨハネ21:18)

 ペテロはイエス様が召天された後、初代教会の中心人物となります。コリント人への手紙を読みますと、彼の後半生涯は妻を伴って各教会を回っておしえを広めたようです。そして伝承では紀元67年頃にローマで殉教の死を遂げたと言われています。こうした歴史からも、ペテロが若い頃は自分が行きたい場所へ、好きな時に行くことができましたが、最後はローマ帝国に捕まり、他の人がペテロに帯を締めてペテロを引いて行った光景が想像できます。そして殉教の場所がローマの丘であり、それも逆さ十字架刑であったと記録されています。カトリック教会はこの場所を記念し、この地にサン・ピエトロ聖堂を建て、ペテロを初代教皇としました。

 この歴史的出来事を特に有名にしたのは、ポーランドの作家ヘンリク・シェンキェヴィッチが1896年に発表した「クォ・ヴァディス」という小説だと思います。「クォ・ヴァディス」とはラテン語で「何処へ行くのですか」という意味です。これに主というラテン語「Domine」がついて「Quo vadis, Domine?」 (主よ、何処へ)と訳されています。


f0229700_65156.jpg



 この言葉はペテロの運命を決めたばかりでなく、その後のキリスト教の苦難と栄光の歴史を象徴するものとして作中のクライマックスで用いられている。ローマ帝国におけるキリスト教徒への迫害は日を追うごとに激しくなり、虐殺を恐れた者たちが国外へ脱出する事も当たり前になっていた。ペトロは最後までローマにとどまるつもりであったが、周囲の人々の強い要請により、渋々ながらローマを離れるのに同意した。夜中に出発してアッピア街道を歩いていたペトロは、夜明けの光の中に、こちらに来るイエス・キリストの姿を見る。ペトロは驚き、ひざまずき、尋ねた。Quo vadis, Domine? (主よ、何処にか行き給うか)
キリストはこう言いました。「あなたが私の民を見捨てるなら、私はローマに行って今一度十字架にかかるであろう。」 ペトロはしばらく気を失っていたが、起き上がると迷うことなく元来た道を引き返した。そしてローマで捕らえられ、十字架にかけられて殉教したのである。
 
 これは小説ですが、何処か真理を突いたお話ではないでしょうか。現代に生きる私たちクリスチャンはどうでしょうか。今はローマ帝国時代のような迫害もなければ、殉教も無いと思います。しかし私達も実は、イエス様を信じる前は自由に行きたい所へ好きな時に行く者でありましたが、イエス様を信じてからはペテロのように神様の御心を先立てて歩む人生に変えられたのではないでしょうか。
[PR]
by carbondalle1996 | 2013-05-26 22:25 | 日記 | Comments(0)

マイナスは必ずプラスになる

f0229700_20321233.jpg



「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」を描いた漫画家の松本零士さんが、新聞のコラム「私の失敗」という欄にこのように書いていました。
「私は九州の高校を卒業して、地方新聞社に就職が決まっていました。4コマ漫画を載せてくれるというものでした。ところが卒業して新聞社を訪ねると、私を雇うと約束した編集長は退社していました。そこで新しい編集長に私の漫画を見せると、『才能がないからやめなさい』と言われました。同級生には、新聞社に漫画家として採用されたとふれまわっていたので、恥ずかしくて街を歩くこともできませんでした。そのときに、私を採用しなかった編集長を見返してやろうと思って東京に出たのです。今にして思えば、あのときの編集長の一言があったからこそ、漫画家になれたのだと思います。」

 大川従道先生がいつも教えてくださるように、マイナスは必ずプラスになります。私達が失敗したと思えることであっても、後から考えたときには、それが大きな成功への転換点となっているのです。ですから、クリスチャン作家の曽野綾子さんは、この記事を読んで、こう書いています。「私の考えとしては、人間に失敗などというものはないのです。失敗と思えることが、実は成功へつながるステップなのです」。
 発明王のトーマス・エジソンは、自らの失敗についてこう答えました。「私は千回の失敗をしたとは思っていません。千回の成功しない方法を学んだのです」。

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ3章16節)
[PR]
by carbondalle1996 | 2013-05-25 05:30 | 日記 | Comments(0)

お言葉ですから

f0229700_5582557.jpg



イエス様は漁から帰ったペテロに向って、「沖へ漕ぎ出して、網を降ろしなさい」と言いました。その朝、夜通し働いて一匹も取れなかったペテロにとって、イエス様の提案はどう聞こえたでしょうか。しかし、ペテロは「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と沖へ漕ぎ出しました。そこに大きな祝福がありました。ペテロの「イエス様に従う」と言う「選択と決断」に対する祝福です。

 私達の生活にも、「選択と決断」が求められるときがあります。そのときに正しい選択をするために大切なことは、「お言葉ですから」というペテロの姿勢です。自分の思いは左ですが、神様あなたのお言葉ですから右に進みますという姿勢。これを「一日一章」を著した榎本先生は、御言葉への聴従と表現されました。私たちが自分の思いではなく、神様のみ声に聴き従って行くとき、私達は網が破れるほどの祝福に預かるのです。この姿勢を自分のものとして、大いに祝福をいただき、前進して参りましょう!

   “それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、
    岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。”
(マタイ7:24)

[PR]
by carbondalle1996 | 2013-05-24 06:00 | 日記 | Comments(0)

負の遺産

f0229700_20572031.jpg



彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。ペテロは言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。(ヨハネ21:15)

 イエス様はここでペテロよとは声を掛けませんでした。「ヨハネの子シモンよ」と声を掛けました。シモンとはペテロの本名です。肉の名前です。そしてヨハネとはペテロを生んだ肉の父の名前です。アダムの罪を負った罪の父です。ヨハネの子シモンとは、このアダムの罪を負うて生まれて来たアダムの子孫、罪人なるシモンです。
アダムの罪とは何でしょうか。それは神様に逆らった、神様に背いた罪です。私たち人類は肉においてアダムの子孫です。子孫である以上祖先の遺産を相続します。遺産には良い遺産もあれば、悪い遺産もあります。子であればどちらも相続します。良い遺産は何でしょう。それはアダムが神様に似せて造られた以上、私達も神様に似せて造られたことです。神様の性質を私達の中に備えられていること。それでは悪い遺産とは何でしょう。それは神様との霊的関係が断たれてしまったこと。それが負の遺産です。原罪とも言います。この負の遺産ゆえに全人類は罪人なのです。
イエス様はそのような罪人に「ヨハネの子シモン」と声を掛けてくださるのです。ここに私たちの父親の名前と自分の名前を入れて読むと、本当に主は何のために十字架に掛かったのか。そして黄泉に下り、三日目によみがえられたのかという事を私は本当に感謝して受け止めたいのです。それは私たち全人類が負っている罪の負債を全部贖うためです。そのためにイエス様は十字架に掛かられた。ここに全人類の救いがあります。このことを思うとき本当に感謝だと思えるのです。栄光在主。
[PR]
by carbondalle1996 | 2013-05-22 06:30 | 日記 | Comments(0)

悲しみの点と点を結ぶと・・・

f0229700_21295959.jpg


「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」       豊臣秀吉

「死にたくない、死なせないでくれ。」                      ウゴ・チャベス (ベネズエラ大統領)

 カナダの内科医であるウイリアム・オスラーは、多くの患者の最後を診てきました。その経験から彼は、「人は生きてきたように死んでゆく」と言っています。他人を恨んだり、妬んだり、悪口を言い続けた人、悪い事を犯し続けてきた人が、最後は立派な人格となり高尚な人となって死ぬことはない。いつも喜んで、感謝して生きてきた人は、最後も喜んで、感謝して笑顔で死んでゆく。

 豊臣秀吉は日本を初めて統一した天下人でしたが、晩年は多くの人々を殺し、朝鮮半島にまで兵を進めるという暴挙を行ないました。チャベス大統領は中米ベネズエラの独裁者としてやはり多くの命を奪っています。秀吉の言葉には人生の空しさが表せれおり、チャベス大統領の言葉には死への恐怖がうかがえます。二人の最後の言葉を読む時に、まさにウイリアム・オスラーが言った通りであるとおもいます。 それゆえにイエス・キリストはわたしたちに何が一番大切かをおしえてくださいました。
「たとい全世界を手入れても、まことの命を損じたら何になろうか」と。

 イエス・キリストを信じてまことの命を持つ者は幸いです。人生は決して空しい旅路ではなく、死もまた恐怖の対象ではありません。クリスチャンにとって人生は希望に満ち溢れ、死は天国への入口です。しかしクリスチャンだから、人生が順風満帆ということではありません。むしろその逆にたくさんの試練や苦しみ、悲しみを体験します。「悲しみの点と点を結ぶと恵みの線となる」と大川先生は教えてくださいました。苦しみや悲しみは誰だって嫌な事です。できれば避けて通りたい。しかしそうした苦しみや悲しみの只中で私たちは、イエス・キリストに出会う。ですから人生とは「恵みの線」の連続となり、この線は天国へと続きます。恵みの人生に感謝しましょう。

“神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。” (ローマ8章28節)

f0229700_21314273.jpg

[PR]
by carbondalle1996 | 2013-05-20 07:26 | 日記 | Comments(0)

じゃんけん大会?

f0229700_214752100.jpg



          今日は食後にみんなでじゃんけん大会


          S兄の東京土産の聖画ハガキを


          じゃんけんで勝った人から選んでゆきました


          勝った人から自分の好みのハガキを選びます



f0229700_21501298.jpg




          最初は、「えーじゃんけん?」という感じでしたが


          いざジャンケン大会が始まると


          みんな真剣な顔つきとなり


          とっても盛り上がりました


          楽しかったー!


f0229700_215210100.jpg



          私は負けた組ですが


          自分の好きな聖画ハガキをGetできて


          感謝でした。


          みなさん楽しそうに選んでますね





f0229700_21523210.jpg





          最後はみんなで記念写真


          はーい、みんな笑って


          はい チーズ!


          カシャ!
[PR]
by carbondalle1996 | 2013-05-19 14:46 | 日記 | Comments(0)

朝祷会 in Calvary

f0229700_20301294.jpg



          今日は秋田朝祷会


          会場は秋田カルバリー祈りの家


          今日の司会は私が担当


          メッセージは象潟キリスト教会の佐藤先生


          毎月秋田市内の先生方と一緒に祈ることができる


          最高の機会であり、祈祷会


          先生の奥様方もご一緒です


f0229700_20333112.jpg




          朝祷会の後は


          みなさんと一緒にお食事会です


          今回は祈りの家の祈祷会に合流のため


          朝食ではなく昼食会となりました


          和気あいあいな雰囲気でお交わり


f0229700_20355254.jpg





          デザートは祈りの家特製


          イチゴのショートケーキ


          とっても美味しいのです


f0229700_2037935.jpg




          そしてストロベリープリン



          食べきれないほどたくさんの料理と


         
          デザート


          霊の糧と肉の糧で充たされ



          お腹いっぱいな朝祷会となりました。
[PR]
by carbondalle1996 | 2013-05-16 13:28 | 日記 | Comments(0)