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5つのパンと2匹の魚

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待っていた人

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すると、そのとき、ひとりのらい病人がイエスのところにきて、ひれ伏して言った、「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。(マタイ8章2節)

 このときこのらい病人はイエス様が山から下りてくるのを待っていたのかもしれません。私も韓国に行ったときにチョー・ヨンギ先生に祈って頂きたいと願いました。どうしたらいいかと考えました。まさか講壇の上で説教しているときに上って按手してくださいと言ったら警備員に取り押さえられてしまいます。純福音教会の近藤先生が、「講壇から下りてきたところに進み寄って座り込んでしまえば、チョー先生も必ず祈ってくれますよ」とアドバイスをくださいました。それで私はチョー先生が説教を終えて講壇を降りると、近藤先生と一緒に走ってチョー先生の前に座り込んだ経験があります。このとき、私はSPの方に取り押さえられてしまいました。

 ですからきっとこのらい病人もイエス様に祈ってもらいたいとイエス様が講壇の上から下りるのを待っておられたのだと思います。そして彼はイエス様にひれ伏したとあります。ひれ伏すというのは神様を礼拝する態度です。ユダヤ人というのは律法で神以外のものを神として礼拝してはならにとありますから、ヤーウエなる真の神以外にはひれ伏して礼拝することは厳しく罰せられます。まして人を神として礼拝することは偶像崇拝となります。しかし、そうした律法の教えを知っていてこのらい病人はイエス様にひれ伏しました。それはイエス様をヤーウエなる神様と信じてる行為であり、救い主メシヤとして信じた行為でした。

 あなたには神様がいますか?それはどのような神様でしょうか?イエス・キリストはあなたを愛し、その愛はあなたのために十字架にかかるほどです。イエス・キリストを救い主として信じるならば、あなたの人生は大きく変わります。そしてあなたも神の子となります。
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by carbondalle1996 | 2014-07-31 06:54 | 日記 | Comments(0)

赦されざる者

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すると、そのとき、ひとりのらい病人がイエスのところにきて、ひれ伏して言った、「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。(マタイ8章2節)

 当時のユダヤ社会においてらい病人を差別するという考え方。その根本にあったのは、神に対する汚れです。らい病人がそのひどい病気になった原因は、罪であり、その罪のゆえに神から汚れた存在とされたこと。人々は彼らを罪深い罪人、神の前に立つことが許されない存在としてさげすみました。赦されざる者だったのです。

 ですから彼等らい病人は癒される対象ではなくて、きよめられる対象なのです。神様によってその罪を赦され、聖められる対象なのです。そこで聖書を読むと、イエス様がらい病人を癒されたとは書かれていません。らい病をきよめたとあります。現実はイエス様によってらい病が癒され、皮膚がきれいになったのですが、聖書はらい病をきよめたとあります。このようにらい病とは癒される対象ではなく、汚れからきよめられる対象なのです。ですからこのらい病人もイエス様のもとにきて癒してくださいとは言いませんでした。みこころでしたら、きよめていただけるのですがと言ったのです。

 あなたに罪はありますか?あなたの罪はどのようにして赦され、聖められなければなりませんか。イエス・キリストはあなたの罪の身代わりに十字架に掛かり死んでくださいました。イエス様の十字架は私の罪のためだと信じる者に、神はその罪を赦し、神の子とされる特権を与えました。本来、決して赦されない者が、赦される。ですからこれは神様の一方的な恵みなのです。あなたもイエス様を信じ、罪赦された者となってください。
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by carbondalle1996 | 2014-07-30 06:16 | 日記 | Comments(0)

前に進み出ること

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すると、そのとき、ひとりの重い皮膚病人がイエスのところにきて、ひれ伏して言った、「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。(マタイ8章2節)

 イエス様が山上の説教を終えて山から下りてこられるとらい病人がイエス様のところに来たとあります。実はマタイ福音書でらい病人がここで初めて記されています。イエス様はマタイ4章でサタンの誘惑に打ち勝ち、宣教を始められました。そしてペテロとアンデレを弟子としました。そして4章の最後には、イエス様はガリラヤ全地を巡り歩いて、福音を宣べ伝え、あらゆる病気、すなわち悪霊につかれた者、てんかん、中風の者をおいやしになったとあります。

 こうした癒しのうわさを聴いて大勢の群衆がイエス様のもとに集まり、マタイ5章から始まる山上の説教へと繋がりました。ですからイエス様はまだこの場面ではらい病人を癒したことはありませんでした。しかし、このらい病人はイエス様ならば癒してくださると信じて、イエス様の前に進み出ました。らい病人が前に進み出るということは、実はありえないできごとです。

 私たちがもしらい病の人を見るとしたら、それは皮膚の病気だと考えます。しかし当時のユダヤ人はそうは見ませんでした。らい病とは重い皮膚の病気という以上に、神様に対する汚れと考えられていました。律法では出エジプト記にらい病人について細かく規定しています。祭司はこれを見てらい病かそうでないか判断します。もしその人がらい病だと判断されますと、その人は神様に対して汚れた者とされ、ユダヤ人の社会から追い出され隔離されます。

 当然、神殿に上って神様を礼拝することはできません。らい病人が外を歩くときは、「汚れている」と叫ばなければなりませんでした。そしてユダヤ人からは差別され、ユダヤ人からは石を投げつけられる対象とされました。ですかららい病人は人目をはばかって、人目を避けて歩きました。人が大勢いたら退いて別の道を通るのが常でした。ですからこのらい病人がイエス様の前に進み出たというのは、普通は考えられない出来事だったのです。

 らい病人をそこまで突き動かしたものは何でしょうか。それはきよめられたいという願いです。イエス様なら自分のこのらい病を癒してくださるという信仰。それが彼をイエス様の前に進み出させたのです。あなたはどうですか?イエス様はあなたの病や悩み、問題を解決してくださると信じますか。そうです。イエス様はあなたの病気も問題も解決する力をもっています。このお方の前に進み出ましょう。主は真実なお方です。
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by carbondalle1996 | 2014-07-29 06:21 | 日記 | Comments(0)

山を降りて来られた主

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イエスが山をお降りになると、おびただしい群衆がついてきた。
                      (マタイ8章1節)


 イエス様は宣教のわざをガリラヤ地方で始めました。中風の者やてんかんで苦しんでいる人々を癒し、悪霊に取りつかれた人々からは悪霊を追い出しました。その結果、大勢の人々がイエス様のもとに集まってきました。そこでイエス様はガリラヤ湖畔の山に上り、人々に向かってお話をしました。これが山上の説教とよばれるものです。イエス様の教えを聴いた人々は驚きました。それは今まで聞いていた律法学者たちのようではなく、権威ある者のようにイエス様が語られたからです。

 律法学者や祭司、レビ人は必ず「律法はこう記している」と語りました。また「ラビ・だれそれはこう語っている」というように、自分の言葉の権威は律法やレビに基づいているとしました。しかし、イエス様は、「昔の人々がこういうのをあなたがたは聞いています。しかし、わたしはこう言います」と語りました。自分のメッセージの権威を、律法やラビの言葉に置きませんでした。

 そしてイエス様は、「わたしのことばを聞いて行うものは、岩の上に家を建てる」とおっしゃったのです。律法を行うものではなく、イエス様の言葉を行う者です。人々はこのようにイエス様が権威ある者のように語る姿に驚きました。そして山上の説教が終わっても、おびただしい群衆がイエス様についてきました。

 あなたはイエス様のみ足の跡をついていますか?山を下りて来られたイエス様を迎え、主が行かれる場何処へでも行く者となりましょう。主は我らの羊飼いです。
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by carbondalle1996 | 2014-07-28 05:29 | 日記 | Comments(0)

日本人の良さとは

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 サッカー日本代表監督が決定しました!元メキシコ監督のハビエル・アギレ氏。今後のテーマは「パス・サッカーを継承しつつ、日本人の良さを活かすこと」だという。しかし「日本人の良さ」とは一体何でしょうか。体格はヨーロッパ人に劣り、身体能力はアフリカ人に劣る。ラテン人に体格は似ているも民族性は全く違う。はてさて、日本サッカー協会が言う「日本人の良さ」とはどんなものでしょうか。

 元日本代表のマルクス闘莉王選手は、日本人の良さとは「忍耐」と話しています。「例えば東日本大震災でも、日本人は大きな混乱にならずに皆が手を取り合って協力し合った。世界を見渡しても耐えることに関してこんなに強い国民はいない。だから攻められても守って耐える。守りのサッカーは地味だというが負けないことが大事。勝つサッカーではなく、負けないサッカーこそ日本人にあったサッカーだと思う。」

 視点をサッカー界からキリスト教へ移すとどうでしょうか。日本人の良さを生かした、日本人に合ったキリスト教伝道とは何か。日本にはヨーロッパのような長いキリスト教の歴史や文化もなく、アフリカで起こるような力ある奇跡もありません。アメリカ人は讃美がすばらしいし、韓国人は祈りが素晴らしい。しかし外国の伝道方法をそのまま持ち込んでも、なかなか日本では成功しません。日本宣教も「日本人の良さ」を今一度考えてみるべき時かもしれません。

 日本人の良さは「忍耐」という闘莉王選手の答えが心に残ります。彼の指摘は、そのまま日本のキリスト教界にあてはまる答えかもしれません。クリスチャン人口1%の枠を超えられず、長い間忍耐をしているのが日本のクリスチャンです。そして、どんな困難や試練に遭っても負けない強さをもっています。その秘訣は地道に聖書を読み、瞑想し、祈るという単純な作業から生まれるものかもしれません。イエス様のみことばに従って踏み出して行く日々の積み重ねが、負けないクリスチャンを作り出しているのではないでしょうか。聖書を読み、祈る生活を心掛けましょう。

“あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。”
                    (詩篇119篇105節)


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横浜中華街土産と台北土産のお菓子と

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祈りの家特性オレンジゼリー
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by carbondalle1996 | 2014-07-27 20:01 | 日記 | Comments(0)

貧しい人に仕えられる人が成熟した人

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 成熟した人は小さな者も心を込めて助けることができる人です。価値のない人、無視しても良いと思われる人でも助けることができる人はまことに成熟した人です。未熟な人は自分に必要な人だけを助けます。有名な人だけを選んで付き合い、自分に必要な人だけと付き合う人は未熟な人です。

 周りにいる、助けなくてもよいと思われる人を助け、愛を伝えてください。助けなくてもよい、無視してもよいと思われる人はどのような人でしょうか。弱く力の無い人、誰も助けない小さな者を指します。最後まで彼らを助ける成熟した信仰の心をもってください。小さな者に仕える成熟した人になってください。

”父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。” (ヤコブ1章27節)

                    ~ハ・ヨンジョ著 「幸せな朝」より ~
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by carbondalle1996 | 2014-07-26 05:49 | 日記 | Comments(0)

人ではなく、神を怖れてください

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 信仰の無い人は、人を恐れます。あるときは妻がきれいであるとうことが恐れの要素になるのです。イサクは妻がきれいであるという単純な事実から始まった考えを発展させ、「私の妻がこんなにきれいで魅力的であるから、他の男たちが見て、わたしが夫であることを知れば、私を殺すだろう」と考えました。

 いくら多くのお金や権力を持っている人でも、人間を恐れないでください。その人にとらわれないでください。人間を恐れるとわなにかかり、信仰から離れるようになり人間のしもべになります。ただ神様だけを怖れてください。

 ”人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。”(箴言29章25節)

                    ~ハ・ヨンジョ著 「幸せな朝」より~
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by carbondalle1996 | 2014-07-25 06:26 | 日記 | Comments(0)

従順、一番美しい祝福の秘訣

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 成熟した信仰と祝福を受ける秘訣は従順です。アブラハムは適当に人間的に従いました。彼が25年間この世的な方法によって神様に仕えたために、逆境と試練を通ったように、主イエスを信じる人が苦しみに会う理由は神様が与えてくださった信仰を持たずに自分の信仰をもっているからです。

 神様を信じていながらも相変わらず恨みと不平と苛立ちの多い人がいます。神様も苦しく、自分も苦しい信仰生活をしているときがあります。このような過程は早く終えなければなりません。そうすれば喜びと力が満ち溢れ、神様に仕えることに葛藤することがなくなります。従順は神様の約束と神様が約束した祝福を成す秘訣であり、神様の御心を成す方法です。

 もし喜んで聞こうとするなら、あなたがたは、この国の良い物を食べることができる。(イザヤ1章19節)

                     ~ハ・ヨンジョ著 「幸せな朝」より~
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by carbondalle1996 | 2014-07-24 06:39 | 日記 | Comments(0)

我慢し、耐えれば、奇跡は起きます

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 人間は誰でも幸福で苦難のない楽な道へ行こうとします。私たちは今までそのように生きてきました。熱心に祈ったけれど結果があまりよくないからといって簡単に落胆しないでください。神様があなたを紅海へ導いたのなら、そこで耐えてみてください。紅海が分かれる奇跡が起きます。

 苦しみに耐えなければなりません。逃げたり避けたりすれば、みな滅びます。行くすべがありません。我慢し耐え忍ばなければなりません。「神様、なぜ祝福してくださらないのですか」と言わないでください。忍耐して待っていれば、真実で約束を守られる神様は必ず答えてくださいます。

「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」                         (出エジプト14章13~14節)

                      ~「幸せな朝」 ハ・ヨンジョ著より~
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by carbondalle1996 | 2014-07-23 06:20 | 日記 | Comments(0)

人生の目的がはっきりしなければ

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                          (秋田市桂浜)

 主イエスの働きの絶頂は十字架で死ぬことでした。主イエスは天国のみことばを教えるときも、奇跡を施すときも、十字架を考えておられました。

 私たちの人生の問題はどこにありますか。一所懸命にお金をもうけ、勉強をし、職場で働きながら、自分が何のために生きているのか、なぜ生きているのか、いつ死ぬべきか、何のために死ぬべきかを悟らずに生きていることにあります。ただ働くことだけに関心をもっているのです。すべての人がみな死んでも自分は死なないという錯覚のために、慾に惑わされて、他人に仕えるよりは人を征服しようと、すべての人の上に立ちたいと願います。

 イエス・キリストを見てください。病気を癒すときも、変貌の山で天国の姿を見せたとき、すべての働きを終えエルサレムへ入るとき、主が引き続き考えておられたのは、ご自分が十字架を背負うためにエルサレムへ行くことですた。主イエスは人生の目的がはっきりしていました。

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(マタイ16章24節)

                    ~「幸せな朝」ハ・ヨンジョ著より~
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by carbondalle1996 | 2014-07-22 06:42 | 日記 | Comments(0)