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5つのパンと2匹の魚

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アドヴェントの始まり

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     今年もクリスマスがやってきました!

     毎年アドヴェントキャンドルに火を灯し

     アドヴェントがスタートします

     1本ずつ毎週、火を灯します

     そしてクリスマス礼拝には4本の

     キャンドルに火が灯ります

     今年のクリスマスリースは婦人方が作ってっくださいました

     すばらしいクリスマスリースです。感動!


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     アドヴェント礼拝の後は楽しいお食事会

     今日も祈りの家はすごいご馳走です

     メインディッシュはハンバーグかな?

     いつものことながらボリューム満点!

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     こんな感じで私もお皿に料理を取りました

     こんなにいっぱい食べられるのでしょうか

     野菜もいぶりがっこも美味しかったです

     いぶりがっこはやはり秋田の味ですね

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     食後は美味しいお菓子を食べました

     Coffee と お菓子を食べながら

     みなさんと一緒に神様の恵みの分かち合い

     みなさんの Good News を聞いていると

     この1週間の歩みの中で

     神様がみなさんにすばらしいことを知り

     改めて主の御名をあがめました

     主はすばらしい!ハレルヤ!
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by carbondalle1996 | 2014-11-30 23:51 | 日記 | Comments(0)

祈りは奇跡を呼ぶ

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 アメリカの有名な伝道者ビリー・グラハム先生の息子のフランクリン・グラハム先生も有名な伝道者です。あるときフランクリン・グラハム先生が飛行機で次の伝道地へ向かっていたときにトラブルが発生しました。その日グラハム先生はシカゴの夜の集会を終えて、飛行機でテキサスへ向かいました。飛行機はチャーターした小型飛行機です。夜ですから地上は真っ暗です。テキサスへ向かっていたところ、飛行機は突然電気系統のトラブルが発生し、飛行機の灯りは消え、ナビゲーションシステムが消えてしまいました。もう自分たちが何処を飛んでいるのかがわからなくなってしまいました。

 これが昼間ならば急いで緊急着陸できる場所を探さなければなりません。しかし地上は真っ暗で何も見えません。飛行機の中がパニックになったとき、グラハム先生はこう言いました。「神様に祈ろう。」そしてみんなで必死に神様に祈りました。祈り終わると突然地上に滑走路のランプが着きました。飛行場の滑走路の両脇にライトの灯りがともりました。それはまるでグラハム先生の乗っている飛行機に向かって、飛行場はここだよとおしえているようでした。こうしてグラハム先生を乗せた飛行機はすぐにこの飛行場に緊急着陸しました。

 どうしてこの飛行場の滑走路のライトが突然光ったのでしょうか。飛行場の管制官が夜空に飛んでいた飛行機を見たのでしょうか。いいえ、違います。実は飛行場ではもう一つ別の出来事が起こっていました。

 スリム・コルネットという牧師先生がいました。このコルネット牧師が牧会する教会の信徒さんがこの飛行場の管理責任者でした。この信徒さんがコルネット牧師に言いました。「コルネット先生、私が管理する飛行場を見に来ませんか。私が飛行場内を案内します。」そして管制塔を案内したときです。信徒さんが言いました。「コルネット先生、このボタンを押すとどうなるか知っていますか。このボタンを押すと滑走路にある着率誘導灯が着くのです。やってみましょうか。」そう言ってその滑走路の着陸誘導灯のボタンが押されました。ちょうどそのとき飛行機の中ではグラハム先生とそのスタッフが必死に神様に祈っていたときでした。

 あなたは問題が起こったときにどう対処していますか?自分自身の智恵や能力、また他人の力に頼っていませんか?問題が問題ではありません。問題をあなたがどうやって解決するかが問題です。神様だけがあなたの問題を解決する力をもっています。神様に祈ってください。あなたの祈りは必ず神様に届きます。あきらめずに祈り続けましょう。祈りは神様の奇跡を起こします。
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by carbondalle1996 | 2014-11-29 23:45 | 日記 | Comments(0)

ヨハネの疑問

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 パリサイ人たちはイエス様がなされた奇跡を、悪霊の力だと非難しました。実はバプテスマのヨハネも、イエス様が来るべきメシヤかという疑問をもちました。ヨハネが牢獄から弟子たちをイエス様のところに遣わして、「あなたこそ来るべきお方でしょうか」と尋ねます。そのときイエス様はヨハネの弟子たちにこう言いました。

イエスは答えて言われた、「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。わたしにつまずかない者は、さいわいである」。(マタイ11章4~6節)

 イエス様はこのガリラヤ湖畔のカペナウムで、盲人の目を開き、中風の足を治し歩くようにし、らい病人が清められ、口のきけない人が話しだし、死人が生き返り、悪霊は追い出され、長血の女性が癒される等の奇跡を見て来ました。イザヤ書を読むとこうした奇跡の一つ一つがメシヤのしるしだと書かれています。イエス様はこうした癒しの奇跡を通してご自身がメシヤであることを証明しました。

 あなたはイエス様が自分にとって本当に救い主だろうか?そのような疑問を抱いたことはありませんか。イエス様は、「わたしのわざを見て信じなさい」とも教えています。歴史上でこのような奇跡を起こした人は誰もいません。そしてイエス様は私たちを絶望から希望へと移してくださいました。まさに真の光です。このお方こそ私たちの救い主イエス・キリストです。イエス様を信じる歩みをしましょう。
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by carbondalle1996 | 2014-11-28 06:41 | 日記 | Comments(0)

うなじのこわい民

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彼らが出て行くと、人々は悪霊につかれて口のきけない人をイエスのところに連れてきた。すると、悪霊は追い出されて、口のきけない人が物を言うようになった。群衆は驚いて、「このようなことがイスラエルの中で見られたことは、これまで一度もなかった」と言った。 しかし、パリサイ人たちは言った、「彼は、悪霊どものかしらによって悪霊どもを追い出しているのだ」。(マタイ9章32~34節)

 今度は目が見えない人ではなく、口のきけない人がイエス様のところに連れて来られました。イエス様はこの口のきけない人から悪霊を追い出し、その人は物が言えるようになりました。群衆はこの奇跡を見て驚きました。しかしパリサイ人たちは、「彼は、悪霊どものかしらによって悪霊どもを追い出しているのだ」と言ってイエス様を非難しました。

 旧約聖書を読んでいますと「頑なな民」という言葉がよく登場します。それは神様の言葉に聴き従わずに逆らってばかりいるイスラエルの民のことを言った言葉です。新改訳聖書では「うなじのこわい民」と訳されています。うなじというのは当然私たちの首の後ろでありますが、このうなじが硬くなることによって人は「はい、わかりました」とうなずくことができません。神様に対して「はい」と言えば良いときに、うなじが硬くなって「はい」と言えない人々。こうした人々を神様はうなじのこわい民と呼びました。

 パリサイ人たちはまさにこのとき「うなじのこわい民」でした。イエス様が盲人の目を開き、口のきけない人から悪霊を追い出して口がきけるようになったという奇跡を目の当たりにしながら、「それは神様のみわざではなくその逆。悪霊のかしらによって悪霊どもを追い出している」と言いました。パリサイ人は神様の栄光をその目でみていながら、それを否定しました。まさにうなじのこわい民となりました。

 あなたのうなじはどうですか?神様に注意されたとき、「はい、申し訳ございません」と素直にうなずくことができますか?「いいや、違う。あの人が悪い」と相手を非難することはありませんか?人は他人の失敗を指摘しますが、自分の失敗を指摘されると素直に謝れない者です。人に素直に謝れる者は、神様にも素直に謝れます。温順なうなじのやわらかい人となりましょう。
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by carbondalle1996 | 2014-11-27 06:55 | 日記 | Comments(0)

あなたの信仰に比例します

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そこで、イエスは彼らの目にさわって言われた、「あなたがたの信仰どおり、あなたがたの身になるように」。すると彼らの目が開かれた。(マタイ9章29節)

 イエス様はこのとき二人の盲人の目にさわって、「あなたがたの信仰どおり、あなたがたの身になるように」と言いました。この「信仰どおり」という言葉は、原文では「信仰に比例して」という意味です。キリストの恵みが信仰に比例して頂けるということです。ですから問われるのは受けての信仰です。口で信じますと告白しながら、心では信じていないというのではいけません。

 預言者エリシャが未亡人の家に行ったとき、一びんの油しか残っていない貧乏の苦しみを訴えたとき、エリシャはありったけの器を持って来なさいとその女性に命じました。注いでみると油はどんどん流れ続け、用意した全ての器に一杯になり、その女性が「器はもうありません」と言ったときに油が止まったとあります。このように用意した器の数に比例して、エリシャが注いだ油は流れ続けました。これが信仰どおりです。

 あなたはイエス様があなたが抱えている問題を解決できると信じますか?それならばあなたの信仰の器をイエス様の前に置きましょう。いくつの器をあなたはイエス様の前に置きますか?5枚、10枚、100枚、1000枚?あなたがイエス様の前に置いた器すべてにイエス様は油を注いでくださいます。あなたの器の数に比例して注がれる油の量は決まります。さあ、あなたの信仰を大きく広げましょう。主は必ずあなたの問題を解決し、溢れる恵みと祝福で充たしてくださいます。
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by carbondalle1996 | 2014-11-26 06:35 | 日記 | Comments(0)

わたしにそれができると信じるか

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そこから進んで行かれると、ふたりの盲人が、「ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい」と叫びながら、イエスについてきた。そしてイエスが家にはいられると、盲人たちがみもとにきたので、彼らに「わたしにそれができると信じるか」と言われた。彼らは言った、「主よ、信じます」。(マタイ9章27~28節)

 聖書を見ますと「盲人」がじつによく出てきます。イスラエル地方の乾燥した空気、凍てつくような暑さ、砂丘から舞い上がる砂埃、羊飼いなどがよくする野宿など、そうした環境事情が重なってこの地方には多くの盲人がいたそうです。

 ここで登場する二人の盲人はイエス様を「ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい」と叫びました。ダビデの子とは来るべきメシヤの称号です。サムエル記下7章を読みますと、神様はダビデの子から神の子が生まれ、その王座はとこしえに続くと約束しました。ですからこの二人の盲人は、イエス様を来るべきメシヤと信じて叫び続けたのだとわかります。

 イエス様は二人の盲人をその場で癒すことをしませんでした。「イエス様が家に入られると」とありますから、イエス様はカペナウムではペテロの家を宿としておりましたので、このときペテロの家に入ったのだと思います。そして着いて来た二人の盲人に向かって「わたしにそれができると信じるか」と尋ねました。イエス様はいつもこのように求めて近づく者に尋ねられます。「あなたは何をしてほしいのか。あなたはそのことができると信じるのか。」

 私たちは問題を抱えていたり、病を患っていたり、経済的な困難をおぼえたりします。そうした何処へ持っていっても解決できない問題を、私たちはイエス様のもとへ持って行くことを学びました。しかし今日、イエス様は私たちに新しい世界を開いてくださいました。それは、「わたしにそれができると信じるか」という世界です。私たちは、「癒してください、解決してください、祝福してください」とイエス様に祈り、願います。しかし、私たちの信仰は本当にその問題がイエス様によって解決されると信じているでしょうか。

 癒されるかもしれないし、癒されないかもしれない。解決するかもしれないし、解決しないかもしれない。私たちはどこかで祈りが聞かれなかったときの保険をかけていないでしょうか。主はそのような私たちにこう尋ねます。「あなたはわたしにそれができると本当に信じるか」。あなたはこのイエス様の言葉に何と応えますか。「主よ、信じます」。それがあなたの応答です。
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by carbondalle1996 | 2014-11-25 06:12 | 日記 | Comments(0)

心の鏡

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 ある年配の男性が病院でお医者さんに相談しました。「最近妻の耳が遠くなり、コミュニケーションが取り辛くなりました。」するとお医者さんは、「それはお困りですね。奥様がどれくらい耳が遠くなったのか調べてください」言いました。「最初は遠くから声をかけて、だんだんと近づいて行って、どのくらいの距離だったら聴こえるのか、今日おうちに帰ったら試してみてください。」

 この男性はさっそくお医者さんのアドバイスどおりにしました。「ただいま、今帰ったよ。今晩の夕食は何かな」。台所にいる妻からの返事がありません。ああやっぱり妻は耳が遠く、聴こえてないのかなあとっこの男性は思いました。

 今度はこの男性は玄関からリビングルームに入ってまた言いました。「ただいま、今帰ったよ。今晩の夕食は何かな」。やはり台所にいる妻からの返事がありません。「ああやっぱり妻は耳が遠く、聴こえてないのかなあ。相当耳が遠くなっているんだなあ」とこの男性は思いました。

 今度はこの男性は台所へ行き妻の後ろに立って言いました。「ただいま、今帰ったよ。今晩の夕食は何かな」。するとやっと妻が振り向いてくれました。しかし妻の顔はとても怒っていました。妻はこの男性に言いました。「あなたはさっきから何回同じことを聞いているの?今晩の夕食はすきやきだって言うのはこれで3度目よ。」

 わかりましたでしょうか。耳が遠くなっていたのは妻ではなく、夫の方だったのです。私たちは他人の欠点はよく目に入りますが、自分の欠点はなかなか見えません。

 聖書は心の鏡だとよく言われます。それは聖書を読むとたくさんの問題を抱えた人々が登場します。そしてたくさんの失敗がそこに書かれています。ある人は言います。「私はこのアブラハムの失敗を他人事のように読んでいました。しかし、自分もまたアブラハムと同じ失敗をしていることに気づきました。」もし私たちが聖書をそのように読むならば、聖書は私たちの心の鏡となります。そしてそのような聖書の読み方は正しい読み方です。

 あなたは聖書を正しく読んでおられますか?聖書は心の鏡です。聖書を通してあなたの心が映しだされます。どうぞあなたの心をご覧になってください。あなたの心はどんな心でしょうか?
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by carbondalle1996 | 2014-11-24 06:39 | 日記 | Comments(0)

収穫感謝礼拝

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 先週20日(木)祈りの家にて秋田朝祷会が持たれ、とても恵まれた時間を過ごしました。講師の佐藤祐明先生のFacebookよりコメントをご紹介します。

 「秋田朝祷会と秋田カルバリー祈りの家の祈祷会との合体集会がありました。私は久しぶりの参加、そしてメッセージをさせて頂きました。主に感謝です。この教会には、プロ級の料理の腕を持つお母さんがいます。私は毎回ここの食事が楽しみ!今回は妻も行けたので良かったです。食事は心を豊かにし、嬉しくなります。ハレルヤ!そして牧師や信徒さんと共に祈り合える恵みに感謝です。霊的な壁が壊され、福音宣教が前進しますように!オーハレルヤ!」   By 佐藤先生

 旧ソ連のフルシチョフが、アメリカが最強国となった理由を調べるように指示を出した。彼らの報告は次のようなものであった。「豊かな地下資源のためである」「アメリカ人の愛国心のためである」「彼らの開拓精神のためである」。このようにさまざまな報告がされたが、満足がいく答えはなかった。ところが、ある新聞記者がこのように言った。「私が思うには、アメリカの力は言葉にあるように思います。彼らは、いつでもどこでも『感謝します(サンキュウ Thank you)』という言葉を、耳が痛くなるほどよく使います」

 言われてみると、その通りであった。皆は首を縦に振って納得した。実際にアメリカ人ほど「感謝します」という言葉を多く使う民族はいない。その上彼らは、断る時も「感謝」(ノーサンキュウ No thank you)という単語を使う。感謝と言う言葉を一番多く使うアメリカが世界一の強国となったのは、驚くことでないかもしれない。感謝をする人と国に、繁栄と幸福が臨むからである。

 今日は「収穫感謝礼拝(Thanks Giving Day)」の日である。「山海の珍味」という表現があるが、山で採れたもの、海で捕れたもの。地球上には、何万種類もの生き物がある。それをひとつひとつ感謝したらどうだろう。神様は最高のデザイナー!創造主なる神様を思い切り賛美し、月星太陽を与えて下さった神様に感謝。 (大川先生の石の枕より)

 本日教会に献品していただきました野菜や果物は、今年も秋田市内の慈善団体に寄付させていただきます。みなさまのお捧げ物を心から感謝いたします。小西孝宏
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by carbondalle1996 | 2014-11-23 21:27 | 日記 | Comments(0)

神様の光に照らされた者

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 N先生はハワイで宣教されて、今は巡回伝道者をしておられます。子供たちはみな成人して家庭をもち、クリスチャンホームをつくり教会を支えています。N先生の次女の久美さんがまだ20歳のとき、21歳のジョンと結婚したいと言いました。N先生はまだ大学も卒業していないからと反対しましたが、若い二人は親の反対を押して結婚。子供が二人与えられました。しかし、若い二人ですからささいなことでいつも喧嘩ばかりしていました。そしてついに二人は別居生活。先生夫妻は世界中を巡回伝道しておりましたから、伝道地のホテルにつくといつも二人で涙を流して娘夫婦のためにお祈りしました。

 娘の久美さんは自分がどうしてこんな男性を好きなり、結婚し、子供を産んでしまったのかと毎日が自己嫌悪に陥ったそうです。そのような時に聖書を読みました。マルコ福音書5章の記事です。

そして子供の手を取って、「タリタ、クミ」と言われた。それは、「少女よ、さあ、起きなさい」という意味である。すると、少女はすぐに起き上がって、歩き出した。(マルコ5章41節)

 久美さんは、イエス様が「タリタ、クミ」と声をかけたという箇所に心が止まりました。クミというのは自分ではないか。イエス様が私に起きなさいとおっしゃっている。イエス様は「子供は死んだのではない。眠っているだけである」と言われた。私たち夫婦の関係は死んだのではなく、眠っているだけなのだ。眠っているならば目を覚ませば良い。起きなければ起せば良い。彼女はイエス様が自分に対して「久美よ、起きなさい」と命じているように聞こえました。そしてこの聖書の御言葉に従って、もう一度ご主人と結婚生活をやり直す決意が与えられました。

 さっそく彼女は夫のジョンに電話をしました。二人の子供を連れたデートが始まりました。週に1度のデートが週に2度になり、そして週に3度、週に5度と増えてゆき、とうとう毎日二人はデートをするようになり、二人の破綻した夫婦生活は再び建て上げられました。今は家族4人で幸せに暮らしています。

 どんな問題があなたを襲っても、その問題がどんなに大きくても、不可能に見えたとしても、絶望してはいけません。イエス様は「恐れないで、ただ信じ続けなさい」と言いました。誰を信じ続けるのでしょうか。イエス・キリストです。私たちがイエス様を信じ続けるとき、私たちは神様の栄光の目撃者となります。

 この会堂司は信じ続けた結果、神様の栄光を拝する者となりました。この会堂司の名前をマルコ福音書には、ヤイロとあります。ヤイロとは「神の光に照らされた者」という意味です。私たちがイエス・キリストを信じ続けるときに、私たちも神様の光に照らされた者とされるのです。
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by carbondalle1996 | 2014-11-22 13:29 | 日記 | Comments(0)

誰の信仰ですか?

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しかし、群衆を外へ出したのち、イエスは内へはいって、少女の手をお取りになると、少女は起きあがった。そして、そのうわさがこの地方全体にひろまった。(マタイ9章25節)

 マルコ福音書5章には、このときイエス様はみんなの者を外に出し、ペテロとヤコブとヨハネ及びその子の父母の他は、誰も一緒に入ってくることをお許しにならなかったとあります。そして家に入って子供の手を取って、「タリタ、クミ」と言いました。それは「少女よ、起きなさい」という意味です。すると少女の霊が戻って娘は即座に起き上がって歩きだしました。彼らはそれを見て非常に驚いたとあります。

 長血の女性が癒されたとき、イエス様は女性に「あなたの信仰があなたを救った」と言われました。それではこの会堂司の娘が生き返ったのは誰の信仰でしょうか。生き返った娘の信仰でしょうか。いいえ、父親の信仰です。この父親が全てを捨ててイエス様の前にひれ伏して訴えたから、この奇跡は起こりました。

 会堂司の家に着いたとき会堂司は、「娘は亡くなったから、もうイエス様の手を煩わす必要はない。もう無駄なことは止めなさい」という声を聞きました。このとき会堂司は絶望の淵に落とされたことでしょう。しかし、そのような絶望の淵に落とされた会堂司に対してイエス様は、「恐れないで、ただ信じ続けなさい」と声をかけました。会堂司が信じ続けた結果、何が起きたでしょうか。彼は娘が死から生き返るという奇跡の目撃者となりました。

 あなたは、今どんな問題や悩みを抱えていますか。たとえそれがどんな大きな問題であっても、たとえ不可能と思える壁であったとしても、恐れずにイエス・キリストを信じ続けましょう。キリストだけがあなたの不可能を可能にし、キリストだけがあなたの問題を解決できます。信じ続けるならば、あなたは神の栄光の目撃者となります。
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by carbondalle1996 | 2014-11-21 05:51 | 日記 | Comments(0)