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5つのパンと2匹の魚

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ネフェシュ・ハーヤー

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主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。(創世記2章7節)

 人が「神のかたち」を造られる具体的なプロセスが2章7節に記されています。そこでは、「神である主は土地のちりで人を形作り、その鼻にいのちの息を吹きこまれた」ことによって、「生きたもの」(ネフェシュ・ハーヤー)となりました。他の生き物も「ネフェシュ・ハーヤー」ですが、「いのちの息」が吹きこまれたのは人だけです。人は神とのかかわりをもつ存在として創造されたことによって、はじめて「生きたもの」(ネフェシュ・ハーヤー)となり、他の被造物とは全く異なった存在なのです。

 息と訳されているヘブル語はネフェシュです。これは魂とも訳される言葉ですが、他に「心」、「命」、「霊」とも訳されます。地上の生き物の中で唯一人間だけがネフェシュである「霊」をもった者です。この霊をもって私たちは父なる神様とお交わりします。イエス様が霊と真をもって礼拝すると言われたのはこのためです。イエスをキリストと告白する聖霊の働きによって、私たちは父なる神様を「お父さん」と呼び、神様との霊的関係を再び結ぶことができるのです。

 年の終わりに改めてイエス・キリストが主であると告白しましょう。私たちはイエス・キリストの十字架の血潮によってのみ神の子とされ、全ての罪が赦されるのです。これが福音です。ハレルヤ!
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by carbondalle1996 | 2014-12-31 09:25 | 日記 | Comments(0)

神のかたち

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 創世記1章27節の「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」のフレーズで注目すべきことは、人が、「神のかたち」にかたどって造られたということです。「かたち」と訳されたヘブル語は「ツェレム」は、27節に「ご自身のかたち」、「神のかたち」と2回も使われていることでそのことが強調されています。「ツェレム」は、像、イメージ、型取ること、型に流し込むこと、を意味します。

 ところで、ここでの「神のかたち」とはいったい何でしょうか。それは複数形で表される神「エローヒーム」は、やがて新約時代において啓示される三位一体の神の愛のかかわりのイメージです。三位一体なる神はゆるぎない永遠の愛の交わりをもっておられます。そうしたイメージに似せて、型取って造られたのが「人」です。ですから、「人」とは神の永遠の愛の交わりに型取られた存在として造られたのです。

神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。(創世記1章27節)
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by carbondalle1996 | 2014-12-30 08:26 | 日記 | Comments(0)

創造の冠

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 聖書の冒頭に「初めに、神が天と地を創造した」とあります。なにゆえに神は、天と地を創造されたのでしょうか。その問いの答えこそ聖書全体を貫く本道です。その本道とは、神が創造の冠として人を造り、交わりを持つためです。天と地の創造はすべて神が人との永遠のかかわりをもつための舞台設定と言えます。「創造の冠」とは、人が神にとって他の被造物とは異なる特別な存在であるということです。それゆえ、神の人に対する特別な関心とまなざしにしっかりと目を向けていきましょう。

はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。(創世記1章1~2節)

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by carbondalle1996 | 2014-12-29 19:15 | 日記 | Comments(0)

かぞえてみよ主の恵み

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 聖歌604番に「かぞえてみよ主の恵み」という歌詞がございます。今年一年を振り返って神様の恵みを数えてみてはいかがでしょうか。私たち夫婦にとって今年一年は大きな変化の年でした。今年の一月から秋田市内に結婚式場がオープンし、挙式のお手伝いをする仕事が始まりました。またピアノ&ヴァイオリン教室には沢山の生徒さんたちを神様が送ってくださいました。神様が私たち家族の必要を充たしてくださり、大きな恵みを経験しました。

 今年から祈祷会の持ち方を変えたことも大きな恵みでした。これまで以上に讃美と祈りに集中するために、讃美と祈りに30分ずつ時間を割くようにしました。みんなで祈りの課題を出し合い、個別の課題について集中して祈るというスタイルに変えてから、祈りの応答が目に見えるようになりました。

 伊藤兄の白血球の数値安定。高校生の推薦入試合格。挙式スタッフとして聖歌隊や司式者が供えられたこと。ピアノ&ヴァイオリン教室の生徒が与えられたこと。私の家族においても、大きな病気や事故に遭うことなく健康が守られたこと。そして先週のクリスマス礼拝には、名前を挙げて祈っていた人々がたくさん出席されたこと。そして今年は金田兄が洗礼を受けたこと。数え出したらきりがないほど神様の恵みで満ち溢れた一年でした。「教会は祈りによって建てられる」という言葉がありますが、まさに祈りの大切さを神様から教わった一年となりました。

 私たちの群れは「祈りの家」という名ですから、来年も祈りを大切にしてゆきたいと思います。祈りを通して働かれる神様の栄光をみなさんと一緒に拝させて頂きたいと願っております。栄光在主
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by carbondalle1996 | 2014-12-28 23:26 | 日記 | Comments(0)

真実の愛と本当の神

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 「アナと雪の女王」のテーマは、「真実の愛」です。凍ってしまった王国や人間関係、それを真実の愛によって溶かすというストーリーです。私がこの映画の中で一番大好きなシーンがあります。「もう愛がわからないわ」というアナに向かってオラフはこう言います。「大丈夫、僕わかるよ。愛とは自分のことよりも他者のことを大切に想う事だよ」と真実の愛を教えます。

 聖書には神は愛なりと書かれています。神様=愛であり、愛=神様です。ですから本当の神様を知らなければ本当の愛もわかりません。アナは言いました。「本当の愛がなんだかわからない。」この言葉を言いかえれば、「本当の神様が誰なのかわからない」とも聞こえます。そしてこのアナのセリフはそのまま私たちの言葉なのです。私たちの周りにはたくさんの神々があります。日本には昔から八百万の神々と言って、数え切れないくらいたくさんの神様が祭られています。アナの言うように私たちは「どれが本当の神様かわからない」というのが本音だと思います。

 そんなアナにオラフは何と言ったでしょうか。「僕わかるよ。愛とは自分のことよりも相手のことを大切に思う事だよ」。ここで愛という言葉を神様に置き換えると、「僕わかるよ。本当の神様は自分のことよりも相手のことを大切に思う方だよ」。それが本当の神様です。アナはオラフの言葉を聴いて本当の愛を知りました。聖書にはこのような言葉が記されています。

“イエス・キリストは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。” (第一ヨハネ3章16節)
 
 神様は一人子なるイエス・キリストを二千年前にこの地上に送ってくださいました。それは私たちの罪の身代わりとなって、十字架に掛かって死ぬためです。神様は私の身代わりとなって十字架に掛かってくださいました。ここに真実の愛があります。この愛を知ったときに、私は本当の神様を知りました。クリスマスは、救い主イエス・キリストがこの地上にお生まれになった日です。心からイエス・キリストの降誕をお祝いしましょう。

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by carbondalle1996 | 2014-12-27 14:44 | 日記 | Comments(0)

ディズニーが贈るメッセージ

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 私は仏教を信じる友人に雪の結晶のお話をしました。私が高校1年生の時にスキー場で初めて雪の結晶を見たこと。雪の結晶があまりにも綺麗で、これは自然に出来たものではなく、誰かが作られたものだと思ったこと。彼は雪の結晶を見た事が無いが、写真で見た事があると言ってくれました。そして私は彼にこう聞きました。

 「あなたはこの雪の結晶が自然に出来たと思いますか。それとも誰かが創ったと思いますか。」

 彼はこう答えました。「これはある一定の気候条件の下であるならば、自然に作られるものです。ですから私はこれが自然に出来たものだと思います。私は神がいることを信じません。」

 私は友人の言葉を聞いて残念に思いました。私たちは企業のロゴマークを普段目にします。アップル、三菱、トヨタ、マクドナルド等。こうしたマークを見ると、私たちはこれが自然に出来たと思う人は一人もいません。あなたはこれらのマークを描いたデザイナーがいると思うはずです。同じようにテーブルも家も服もすべて人によってデザインされました。それでは雪の結晶や大自然はどうでしょうか。

 企業のどんなロゴマークや、有名画家が描いたどんな絵よりも実際の山や川や空や海はもっと美しく素晴らしいものです。これは誰が創ったのでしょうか。聖書は山も川も海も空も植物も動物も全て神様がデザインして創られたとあります。そして私たち人間は神様の姿に似せてデザインされたとあります。私たちは人が造った物に製作者を認め、神が造られた物にそれを認めません。そこに私たちの罪があります。
 
 ディズニーピクチャーズが、映画の冒頭に雪の結晶シーンを入れたのはこのためではないでしょうか。ディズニーが私たちに伝えたいメッセージ。それは、「神様はいますよ。これらの雪の結晶を創られた神様がいます。私たちはこの映画を通してあなたにそれを伝えたいのです。」私にはそのようにウォルト・ディズニーが語っているように思えました。
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by carbondalle1996 | 2014-12-26 06:03 | 日記 | Comments(0)

クリスマスイヴ感謝会

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          昨夜はクリスマス・イヴ

          祈りの家ではクリスマス・イヴ感謝会として

          食事会と証し会を致しました

          クリスマスの食事を共にしながら

          今年一年の恵みをみなさんと一緒に

          わかちあいました

          数えてみよ、主の恵み

          感謝!
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by carbondalle1996 | 2014-12-25 08:42 | 日記 | Comments(0)

これが福音です

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 先月、私は一人の友人とお食事をしました。会社で同じ部署だった友人から1年ぶりに会いたいと電話があり、私はイエス様を伝える良い機会と考えました。食事が終わり、彼は袋から仏教の新聞を取りだして、私に仏教への改宗を勧めました。1時間程彼の話を私は聞きました。そこで私は彼に1つの質問をしました。

「この質問に答えてくれたら、僕は君の勧める仏教を信じます。君がもし、今死んだとしたら、君は極楽浄土に入る確信はありますか。」

「僕の話を聞いていましたか。僕は極楽浄土に入るために、今こうして布教活動をして、善行を積み上げているのです。死ぬまでこうした善行を積み上げて、仏のレベルまで達したときに僕は初めて極楽浄土へ行くことができるのです。」

「それでは、今君はそのレベルまで達していないため、君が今死んだとしたら極楽浄土に入れないのですか。」

「はい。今は、入れません」。

「それでは僕は仏教に改宗はできません。死はいつ来るかわかりません。少なくとも僕は、今死んだとしても、天国に入る確信がありますよ。」

 友人は少しムキになってこう言いました。「それは、あなたが信仰熱心だから言えることでしょう。普通のクリスチャンは、死ぬまでに罪を犯して、神様から離れるかもしれないでしょう。そのようなクリスチャンは天国に入れないでしょう。仏教も同じですよ。そうした人は成仏できません。死ぬまでずっと仏教の教えをしっかりと守って善行を積み上げた人だけが極楽浄土に入ることができるのですよ。」

 私はそのとき彼にこう言いました。「君は僕を誤解していますよ。僕は死ぬまで聖書の教えを守り続ける自信はありません。逆に、死ぬまで毎日、聖書の教えに背き、罪を犯し続けてしまうという自信はあります。僕は弱い者で、迫害されたらイエス様を捨てて逃げ出すような卑怯な人間です。それでも、死んだら天国に入れる確信があります。なぜなら、僕のような罪深い者の身代わりにイエス・キリストが十字架に架かって死んでくださったことを信じているからです。」

 天国は無償のプレゼント。私たちが何か善い行いをしたから、私たちが優秀だから天国に入れるのではありません。聖書の戒めを守ることもできない罪人です。このままなら地獄に落ちても仕方のない罪人。しかし、私のような罪人を救うために、イエス・キリストが私の身代わりとなって十字架に掛かり、死んでくださったのです。私はただこのことを信じたゆえに救われました。これが福音です。あなたはこのことを信じますか?
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by carbondalle1996 | 2014-12-24 06:30 | 日記 | Comments(0)

神様のデザイン

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御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。(ルカ2章10~12節)

 私が初めて雪の結晶を見てから30年が経ちました。今年「アナと雪の女王」という映画の導入シーンにたくさんの雪の結晶が現れては消え、消えては現れるというそのシーンを見たとき、私は思いました。「どうしてディズニーはこの場面を映画の最初に持ってきたのだろうか」と。もしかしたら、ディズニーは、この雪の結晶の場面を最初に持ってくることによって、伝えたいメッセージがあるのではないだろうか。

 私がアメリカの大学に留学していたときの友人の言葉を思い出しました。その友人も日本からの留学生で、大学では映画を専攻していました。キャンパスではよく8ミリの映写機を使って、映画を撮っていました。その彼が私にこう言ったのを覚えています。「映画の中で導入というのはとても大切だ。朝から入るか、夜から入るのか。街の景色から入るか、主人公がどんな行動から入るか。そこに制作者の伝えたいメッセージが隠されている。」

 ディズニーピクチャーズの創設者は、ウォルト・ディズニーです。彼は神様を信じる敬虔なクリスチャンでした。彼の夢は、アニメーションを通して子供たちに神様と人を愛することの大切さ伝えることだと言われています。ですから雪の結晶が画面一杯に登場するシーンを通してディズニーは、「この世界にはこれらを創られた方がいます」というメッセージをそこで映画を見る私たちに伝えたいのではないかと私は思いました。

 聖書が私たちに贈るメッセージも同じです。私たちが見ている美しい山々や川、森や湖、空も海、魚も鳥も動物も、すべて自然に出来たものではありません。神様によってデザインされ、神様によって造られたのです。クリスマスはそのような神様が人となってこの地上に来られた日です。クリスマスをお祝いしましょう。Merry Christmas!
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by carbondalle1996 | 2014-12-23 07:22 | 日記 | Comments(0)

氷の結晶とアナと雪の女王

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さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。(ルカ2章8~9節)

 今年の大ヒット映画と言えば「アナと雪の女王」だと思います。私も映画館で観て感動し、DVDを購入して家族で観ています。登場人物は主人公のアナ。女王のエルサ。ハンス。クリストフ。トナカイのスヴェン。雪だるまのオラフ。この映画の導入シーンをご存知でしょうか。映画の最初にたくさんの氷の結晶が画面一杯に流れます。氷の結晶は綺麗ですね。いろいろな種類の氷の結晶がありますが、どれもみなすばらしいデザインです。あなたは氷の結晶を見たことはありますか。私は氷の結晶を見たという経験があります。

 私が高校1年生の時にスキー学校というのがありました。私はそれまでスキーをしたことがなかったので、スキー教室に応募して学校主催のスキー教室に参加しました。生まれて初めてするスキーに胸がワクワクしました。私は初心者でしたから初心者クラスに入りました。初心者クラスは理科の先生が担当していました。そこで私はスキーの基本とボーゲンでの滑り方を教わりました。

 スキー教室は2泊3日でした。スキー教室の2日目にゲレンデでスキーの滑り方を教わっていたとき、雪が降りました。私のスキーウエアは黒。そこに白い雪が落ちて来ました。落ちて来た雪を見てびっくりしました。雪が結晶のまま落ちて来たからです。私は雪の結晶を教科書で見たことがありましたが、実際にこの目で見るのは初めてでした。驚きました。私はそれまで雪の結晶というのは、顕微鏡でしか見られないものだと思っていました。ところが自分が着ているスキーウエアの上に落ちてきた雪が結晶でした。

 結晶を見た最初の驚きは、これが雪の結晶なんだという驚きです。2つ目の驚きは、結晶って肉眼で見えるのだという驚きです。3つ目の驚きは、これはいつも飲んでいる牛乳のマーク、雪印にそっくりだという驚きです。実際は雪印のマークが雪の結晶からデザインしたのですが、その時はそこまで思いつきませんでした。私はそのとき雪の結晶を見て、素直にきれいだと思いました。そして私はそのときふとこう思いました。こんなきれいな形が自然に出来たはずがない。これを作られた方がいるのではないか。私はそのときそう思いました。


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 あなたは雪の結晶を見てどう思いますか?自然にできたもの?それとも誰かがデザインして造ったのでしょうか?
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by carbondalle1996 | 2014-12-22 06:36 | 日記 | Comments(0)