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5つのパンと2匹の魚

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十字架の話

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 Yさんは18歳まで香川県高松市の郊外に住んでおりました。当時、大学受験を目の前にして部屋で勉強をしていましたら、一人の方がメガホンを持って家の前を大声で叫びながら歩いていました。「みなさん、こちらはキリスト教会です。今晩、当教会におきまして特別伝道集会を開きます。講師は東京からキャリコ先生をお招きしました。」この「キャリコ」という珍しい言葉に心惹かれ、本物の英語を聞くのも大学受験の参考になると思い、その晩Yさんは教会に行くことにしました。

 教会に行ってみると、六畳一間ほどの部屋にアメリカ人が10人くらい囲み、真ん中に3、4人の日本人が捕虜のように座っておりました。Yさんはどうしようかと迷いましたが、英語の勉強だから仕方がないと思いそこに座りました。いよいよキャリコ先生のお話が始まりました。しかしなんとキャリコ先生は流暢な日本語でお話をしたのです。そしてキャリコ先生は初めから終わりまで、Y先生の眼をじっと見ながら「あなたは罪人です」と言ったのです。

 Yさんは憤慨しました。「どうぞおいでください」と言うから来てやったのに、人を罪人呼ばわりするとはとんでもないと思ったのですが、逃げるわけにもゆきません。「神様はあなたを愛しています。イエス・キリストはあなたを愛し、あなたの身代わりとなって、十字架に掛かって死んだのです」と言う言葉が心に暖かく飛び込んできました。

 実は、Yさんは小学生の時、両親の離婚によって祖父母のところから預けられ、自分はいらない人間だと捨てられたような少年時代を過ごしていましたので、愛という言葉に敏感だったのです。お話を聞いていくうちに心が熱くなり、集会の最後に、「皆さんの中でイエス・キリストを信じたい人は手を挙げてください」という招きがあり、Yさんはなんと手を挙げたのです。

 彼はその晩、イエス・キリストを信じました。本当に突然のことでしたけれども、心の中に大きな変化が起こりました。イエス様を信じて10日ぐらいして、Yさんは教会にあった太鼓を叩きながら、「みなさん、すばらしいニュースがあります。イエス・キリストはみなさんのために十字架に掛かってくださったのです」と叫びながら町中を行進していました。イエス・キリストの十字架の話、神様の愛の話をすることが、嬉しくて仕方がない程に変えられたそうです。Yさんはその後献身し牧師となりました。

 神を畏れるということを知っている人間は、神以外の何物も恐れることはなくなります。逆に言えば、神を畏れない人は、実に様々なものを恐れながら生きています。ですから私たちが自分の生活を生きるとき、「あれが怖い、これが怖い」と、何かに対していつも恐れや不安を抱いているのは、真の神様を畏れることをまだ知らないからだと言えます。真の神様だけを畏れる人生を歩みましょう。
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by carbondalle1996 | 2015-01-31 15:52 | 日記 | Comments(0)

わたし達の弁護者

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だから人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。(マタイ10章32節)

 私達はいずれ故郷である天国へ帰ります。そのとき私達は神様の御前に立ちます。これが最後の審判です。私達は神様の御前で裁かれます。そのとき自分が生まれてから死ぬまでの一生が走馬灯のようにスクリーンに映し出され、私達は自分が行った罪について申し開きもできなくなるでしょう。

 神様の御前で私たちの罪を訴える者がこう言います。「神様、この者はこのような罪を地上の人生において数限りなく犯してきました。ゆえに私はこの者が有罪となり、地獄へ落ちることが適当かと思います。」

 私たちが有罪の判決を受けようとするとき、一人の人が立ちあがってこう言います。「神様、確かにこの者は罪を犯したため有罪で地獄に落ちなければなりません。しかし、この者の罪の身代わりにわたしが十字架に掛かり、わたしがこの者の罪の代価を2000年前にすでに支払いました。ゆえにこの者は贖われました。この者は無罪です。」こう私たちのために弁護してくださる方がいます。それがイエス・キリストです。

 私たちが人の前でイエス様を受け入れたならば、イエス様も父なる神様の前で私たちを受け入れてくださいます。あなたは人の前でイエス様を受け入れていますか?もし受け入れるならば、イエス様もあなたを父なる神様の前で受け入れてくださるでしょう。
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by carbondalle1996 | 2015-01-30 06:44 | 日記 | Comments(0)

一羽の雀でさえ・・・

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二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。(マタイ10章29~31節)

 アサリオンとは当時の通貨の単位です。二羽の雀という表現は、一羽では値もつかないほど価値の無いという意味です。つまり一羽では値段が付けられない程価値が無い雀という意味。当時のユダヤ社会では、価値の無い物のたとえとして雀が表現されていたのだと思います。

 そのように人々から価値が無いと見られている雀でさえも、父なる神様の許しが無ければ地に落ちることはない。つまり、そのような価値の無いと思われている雀でさえ、神様はこれを愛し、養ってくださっている。だから恐れることは無いとイエス様はおっしゃっているのです。

 どうしてでしょうか。人間は雀よりも勝った者だからです。人から価値が無いと思われている雀でさえも神様は雀を尊い存在と見られ、これを養ってくださっています。だとしたら雀よりもはるかに価値ある人間がどうして神様から愛されないことがえるでしょうか。いいえ、そのようなことはありません。創造の冠である私達人間を、神様は高価で尊いと見ておられます。神様は私たちを愛し、顧みてくださいます。

 あなたは今、何を恐れていますか?あなたは神様がご自身に似せて造られた創造の冠なる人間です。神様はあなたを誰よりも愛し、あなたを尊いと見ています。神様は今日もあなたと共におられます。神様の愛を信じて、これを受け取る者となってください。神様はあなたを愛しています。
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by carbondalle1996 | 2015-01-29 07:08 | 日記 | Comments(0)

まことのいのち

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また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。(マタイ10章28節)

 聖書は2つのいのちがあることを私たちにおしえています。1つは私たちが知っている命です。聖書はこれを体の命と言います。私達はよく「命あっての物種」と言います。これは何事も命があってこそ初めて出来るのだから、命を大切にしなさいという教えです。これが体のいのちです。

 聖書はもう一つ大切な命を私達は持っていると教えています。それは魂の命です。イエス様はこれを「まことのいのち」と言いました。魂とは目に見えない霊です。私達は体が死んでも霊である魂は死にません。イエス・キリストを信じた魂は天国へ帰り、そうでない魂は地獄へ落とされます。

 聖書はこの2つの命を私たちがもっていることをおしえています。そして2つのいのちのうち、どちらがより尊いかというと、魂の命がより尊いと徹頭徹尾説いています。私たちの体はこの地上での80年から100年の寿命ですが、魂の命は永遠です。魂が永遠の天国へ行くか、永遠の地獄へ行くかという問題でもあります。それだけではなく、魂こそ「まことのいのち」だからです。

 私たちの目が「まことのいのち」である魂の命よりも、体の命を見ていると本当に大切なものが見えなくなってしまいます。イエス様は私たちが「まことのいのち」を得るためにこの地上に来られました。そして十字架に掛かったのです。あなたは今日死んだとしても、天国へ入る確信はありますか?イエス・キリストを信じましょう。神はあなたを愛しています。
 
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by carbondalle1996 | 2015-01-28 06:43 | 日記 | Comments(0)

因果応報からの解放

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だから彼らを恐れるな。おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。(マタイ10章26節)

 聖書には365回「恐れるな」という言葉が書かれてあるそうです。つまり1年365日、私達は神様以外の何かを恐れて生きているということ。ですから神様は私たちに向かって「恐れるな」と戒めておられるのです。たといこの世が真理を隠したとしても、真理は必ず時が来たならば神様の手で明らかにされるからです。歴史がこれを証明しています。

 あなたは神様以外に日々、何を恐れていますか? お金でしょうか?仲間の視線でしょうか?明日の生活?家族の同意?仕事でしょうか?私達日本人がよく恐れる物の中に、昔からの風習や教えなどがあります。因果応報という教えも私達日本人が恐れをもつ1つではないでしょうか。

 私が尊敬する日本基督教団のK牧師が、関西のある教会に招かれて伝道集会のご奉仕をしたときのことです。土曜日の夜に伝道集会をし、翌日の主日礼拝にもK先生が説教をいたしました。土曜日の夜、伝道集会が終わり質問の時間となりました。すると一人の女性が手を挙げて尋ねました。「先生、キリスト教に因果応報はありますか」。あまりに明るい声だったので、K先生はその女性がクリスチャンだと思ったそうです。そして丁寧に、はっきりと「キリスト教では因果応報というものはありません。それが断固断ち切られたところで私たちは生かされています。」そう答えたそうです。後でその教会の牧師から、あの女性はクリスチャンではなく、その夜に初めて来た来訪者だと聞かされたそうです。

 そしてその女性は翌日の礼拝にも来られたそうです。礼拝が終わってK先生が玄関で挨拶をしていると、昨夜のその女性がK先生のところに来て「洗礼を受けます」と言ったそうです。先生は、「それは早すぎるでしょう。決心はいいけれども、牧師の指導を受けて、ゆっくり準備をしなさい」と言いました。「それにしてもなぜこんなに早く決心をなさったのですか」と尋ねましたら、「説教の間ぐっすり眠れたからです」とその女性は答えました。

 彼女の家は家族や友人が皆ある新興宗教に入っているそうです。因果応報の教えを畳重ねるように説き続けるその集団の中にあって、彼女ひとりそれを受け入れないでいるそうです。そして家族の中で起こる不幸はみな、その女性が先祖の供養をしていないからだと攻め立てられている。しかし、彼女はかれらの考えを決して受け入れることができないのだというのです。そして、辛くて、辛くて、もう2年間もぐっすり眠っていなかったそうです。しかし昨晩、K先生から「因果応報はない」と聞いて、昨晩はぐっすり眠ることができ、今日もその続きで安心して眠ることができますということでした。

 神様はあなたを罰をもって恐れさせるお方ではありません。神様はあなたを何処までも愛して、あなたをあらゆる束縛から解放し、あなたを救いたいと願っておられるお方です。神様は愛なる方です。どうぞこのお方に信頼し、歩む人生を選んでっください。
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by carbondalle1996 | 2015-01-27 06:42 | 日記 | Comments(0)

弱さを誇ろう

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もし家の主人がベルゼブルと言われるならば、その家の者どもはなおさら、どんなにか悪く言われることであろう。(マタイ10:26)

 ベルゼブルとは「バアル/主人」と「ゼブル/家」を合わせた言葉で、転じて「悪魔の親分」という意味で使われています。イエス様は人々から悪魔の親分として扱われるということです。この出来事は実際に起こりました。目が見えず、口もきけない人をイエス様が癒して、目も見えるようになり、口もきけるようにされたとき、人々はイエス様を救い主ではないかと騒ぎました。しかし、そのときパリサイ人は、それは悪魔の親分であるベルゼブルの力によってなされたのだとイエス様を非難しました。

 ですからイエス様は前もって弟子たちにおしえたのです。「私が悪霊の親分と呼ばれるのだから、私の弟子であるあなたがたも人々から悪魔の子分だと言われ、人々から非難を受けるだろう」と。それは必ず起こる出来事だから前もって心の準備をしておきなさいというものでした。

 私達は他人から非難されたらどう思うでしょうか。自分を非難する人が一人だったら、言わせておけと思うかもしれません。しかし、自分を非難する人が大勢だったり、政治的な力をもって人々に圧力をかける力をもっていたらどうでしょうか。私達はそうした人々を恐れるのではないでしょうか。

 実際にイエス様をベルゼブルだと言って非難したパリサイ人や律法学者は、イエス様を救い主メシヤだと言った人々は会堂から追い出すと言って人々に圧力をかけました。戦時中のキリスト教会も軍部の圧力に負けて、神道の神様もキリスト教の神様も同じ神様だと言って妥協してしまいました。私達はそのように恐れやすい者です。

 しかし自分が恐れを持ちやすいという弱さを認めることは、すばらしいことです。なぜならば、主はあなたの弱さの中に働いてくださり、あなたを強くしてくださるからです。自分の弱さを認める者は幸いです。主は必ずあなたの弱さの中に働いてくださいます。ですから自分の強さではなく、自分の弱さを誇りましょう。主があなたを強くしてくださいます。ハレルヤ!
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by carbondalle1996 | 2015-01-26 06:20 | 日記 | Comments(0)

神は私を助けてくださる

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 先週は二人の日本人がイスラム国に人質とされるという衝撃が日本を襲いました。一人は民間軍事会社の湯川遥菜氏。一人は国際ジャーナリストの後藤健二氏。後藤さんは日本基督教団田園調布教会のクリスチャン。彼がイエス様を信じて救われたきっかけは、ある冬のクリスマス礼拝だったという。クリスマス礼拝に教会を訪れた後藤氏は、そこで何か大きな存在がこの世にいることに気づき、そして今までの傲慢であった自分の人生を大きく悔い改めたそうです。

 国際ジャーナリストの後藤さんは、常に「死」と隣り合わせにいた。そのことを不安や恐怖に思わなかったわけではない。「もし、取材先で命を落とすようなことがあったとき、誰にも看取られないで死ぬのは寂しいかなとも思いました。天国で主イエス様が迎えてくださるのであれば寂しくないかな」と、後ろ向きな考えで受洗を決意したそうです。しかし、牧師先生に「私達の信じる神様は、私達が死ぬときのためにいらっしゃるのではないのですよ」と咎められ、はっとした。それからは、毎日生きていることに感謝し、神様に守られて、今も生きていることに感謝しているという。

 受洗後の歩みの中でも多くの奇跡を体験したそうです。当時混乱を極めていたチェチェン共和国。まだ取材経験の浅かった後藤さんは単身でチェチェンに向かった。チェチェン行きの飛行機では、隣の席にスペインから来たジャーナリストたちがいた。何処に泊まるのか、通訳はどうするのか。何も決まっていない状況だったが、彼等が全てを手配してくれた。「何か大きな力に突き動かされている気がしました。彼らに出会わなかったら、チェンチェンを取材することはおろか、生きて帰って来られたかもわかりません。神様が守ってくださったとあの時も感じました」

 紛争地での取材中、大きな選択に迫られる時がある。どちらの道に行けば安全に目的が遂行できるか。まさに命をかけた「選択」。その時にいつも彼の頭をよぎるのは、「主なる神を試してはならない」(マタイ4:7)の聖句。選択を迫られたとき、「自分は神様を試しているのではないか?」と常に考えながら、祈り、そして決断するという。父なる神は決して自分を見捨てない。その言葉を信じての決断。

 後藤さんがいつも握っている御言葉がある。それは、「神は私を助けてくださる」という詩篇54篇6節の御言葉。「この聖書の言葉を、いつも心に刻み込んで、私は仕事をしています。多くの悲惨な現場、命の危険をも脅かす現場もありますが、必ず、どんな方法かはわかりませんが、神様は私を助けてくださるのだと思います。」

 神様が二人を助けてくださることを信じてお祈りしましょう。

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by carbondalle1996 | 2015-01-25 23:57 | 日記 | Comments(0)

マッサンとリタ

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 NHKドラマでお馴染みのマッサンこと竹鶴政孝氏。大正時代に竹鶴さんは単身スコットランドへ渡り、本格ウイスキーの製造方法を持ち帰りました。後にイギリス首相となったヒューム氏は、「万年筆一本で我が国のウイスキーの秘密を盗んで行った青年がいた」とユーモアたっぷりに語ったそうです。日本ウイスキーの父とも呼ばれる人が竹鶴政孝さんです。その奥さんが竹鶴リタさん。

 プロポーズの時「スコットランドに残っても構わない」と言う竹鶴政孝さんに、「私はあなたの夢を共に生き、お手伝いしたいのです」と答えたリタさん。遠いスコットランドから日本に嫁入りし、日本の生活に溶け込もうと努力を重ね、漬け物や塩辛まで手作りした彼女を、人々は「日本人以上に日本人らしい」と評したほどでした。日本語の勉強にも励み、流暢な関西弁を操るまでになったが「マサタカサン」という発音が難しかったためか、竹鶴のことを「マッサン」と呼んだそうです。

 遠い異国の地日本で想像をはるかに超えた苦労がありました。特に第二次大戦中は親からスコットランドに帰ってきなさいと何度も言われたそうです。戦時中はスパイの疑いをかけられ、秘密警察に何度も跡をつけられたそうです。しかし、リタさんは竹鶴政孝さんの妻として日本に残り、日本人になる努力をしました。どうしてそこまでリタさんは強かったのでしょう。

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 北海道のニッカウイスキー余市蒸溜所にリタさんが使っていた聖書と十字架が飾られているそうです。リタさんの両親は熱心なクリスチャンだったそうです。リタさんは、辛い時、苦しい時にはいつも、十字架を握りしめて神様にお祈りしました。リタさんは決して強くはありませんでしたが、十字架を握りしめて祈る中で、イエス・キリストによって、日々主の平安を頂いたのだと思います。聖書にこのような御言葉があります。

“私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。”(ピリピ4章13節)

 1961年1月17日にリタさんは天国へ帰りました。そして夫である竹鶴政孝さんも、「妻がいる所に私も行きたい」と言ってその後、洗礼を受けたそうです。ハレルヤ!
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by carbondalle1996 | 2015-01-24 08:34 | 日記 | Comments(0)

フランチェスコの回心

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 アッシジのフランチェスコは聖人として有名ですが、彼がまだ若い頃、彼は父親のお金をすべてをお酒と女性に全部使ってしまうという放蕩三昧の生活を送っていました。1204年、フランチェスコは軍隊に加わり戦場に向かいますが、途中熱病にかかり夢の中で神様の声を聴きました。それからフランチェスコの生活は変わりました。以前のように遊び仲間とこの世の快楽にふけっても、喜びに充たされることはありませんでした。何をやっても虚しさばかりが追いかけてくるように感じました。

 あるとき彼は「おまえの忌み嫌っているものこそ甘美な喜びとなる」との神様の声を聴きました。彼はそれまでずっと心の中でハンセン病患者を嫌っていました。神様の声を聴いたフランチェスコは、病人の前を馬で通りかかったとき、馬から降りて病人の手を取って接吻しました。するとそのときフランチェスコは、何ともいえない平安で心が満たされました。また次の日、病院の門をたたき中に入り、取り囲んだハンセン氏病患者一人一人の手に接吻しました。このときフランチェスコは、「奴隷であった自分の魂が解き放たれたのだ」と語っています。そしてフランチェスコは、神様からマタイ福音書を通して啓示を受けました。

 行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。財布の中に金、銀または銭を入れて行くな。旅行のための袋も、二枚の下着も、靴も杖も、持って行くな。働き人がその食物を得るのは当然である。どの町どの村にはいっても、その中でだれがふさわしい人か、たずね出して、立ち去るまではその人のところにとどまっておれ。その家にはいったなら、平安を祈ってあげなさい。もし平安を受けるにふさわしい家であれば、あなたがたの祈る平安はその家に来るであろう。もしふさわしくなければ、その平安はあなたがたに帰って来るであろう。(マタイ10章7~13節)

 この御言葉の啓示を受けたフランチェスコは、「主の平和があなたにありますように」と言いながら、百姓の衣をまとい、縄を腰に巻いて、乞食の姿を取り、裸足でその日の糧を托鉢で得る行動を起こしました。こうして各地を巡り、人々が理解できるイタリア語で悔い改めを呼びかけて回りました。世俗化し霊的・精神的にも堕落したカトリック教会を本来のキリスト教会に戻す教会再興のために働きました。

 あなたもアッシジのフランチェスコのように平安を祈る者となりましょう。
 
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by carbondalle1996 | 2015-01-23 06:39 | 日記 | Comments(0)

神様にゆだねて感謝する

 私達は時に心の平安が無くなってしまうときがあります。ときには経済的な問題、家族に起こる問題、会社でのトラブル、近所とのトラブルなど、人間関係のトラブルなど、私達はそのような出来事に遭遇するとすぐに平安が無くなってしまい、心配で夜も寝れなくなるときがあります。そのようなときにどうやって、私達は心の平安を得れば良いでしょうか。ピリピ人への手紙の中でパウロはこうおしえています。

何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。(ピリピ4章6~7節)

 私は先日、仕事である失敗をして落ち込んでしまいました。食欲が無いのですが、不安からのストレスでたくさん食事を取ってしまい、夜も眠れず、何もする気になれませんでした。翌朝、落ち込んだ状態で起きました。そのときのピリピ書4章を読み、神様にお祈りしました。そして全てを神様の御手にお委ねしました。すると不思議と心に平安が与えられました。

 これこそ私たちが神様から頂いた平安です。これは人知ではとうてい測り知ることのできない平安です。思い煩うことがないという人生は、どんなに幸せなことでしょうか。普通は、思い煩うのがこの世の生活です。思い煩いの無い人などいません。しかし聖書は、思い煩わずにそれを感謝して、神様に委ねなさいと言っています。ですから私たちの手に握っていた思い煩いを手放して、神様の手にそれを握って頂く。この世界を知っているからこそ、私達クリスチャンはいつも心に平安があるのです。

 あなたは今、問題がありますか?その問題を神様に感謝して、神様の御手に委ねましょう。神様は必ずあなたの心にすばらしい平安を与えてくださいます。そして神様が最善をなしてくださいます。

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          本日の秋田朝祷会の様子

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         会場は秋田キリスト教会

         特製の牛鍋です

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         トマト味のスープも最高でした!
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by carbondalle1996 | 2015-01-22 16:44 | 日記 | Comments(0)