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5つのパンと2匹の魚

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なすところみな栄える

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だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。 石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。(マタイ13章19~23節)

 これが種まきの譬えに隠された神の国の奥義です。イエス様のメッセージは、御言葉を聞いて悟り、それを受け止める者の心に神の国が生まれるというものです。イエス様はルカ福音書17章で、神の国はどこにあるのですかという問いかけに対して、「神の国はそこにあるとか、ここにあるというものではなく、あなたがたのただ中にある」とおっしゃいました。

 「御言を聞いて悟る人」はイエス様を信じて「神の国を持つ者」となります。神の国を持つ人はどうなりますか。その人の中で御言の種は芽を出して樹となり枝となり、30倍、60倍、100倍の実を結ぶほどに祝福されるということです。イエス様を信じないで神の国を持たない人は、持っていると思っているこの世のものまで取り去られてしまいます。ですからイエス様は詩篇1篇でこう言いました。

このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。(詩篇1篇3節)

 ペテロが持っていたものはイエス・キリストであり、聖霊であり、それは神の国でした。ペテロが神の国を人々に伝えれば伝えるほど、神様は豊かに彼にそれを与えました。あなたの中に神の国はありますか。イエス・キリストを信じる者に神の国は与えられます。信じる者となりましょう。
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by carbondalle1996 | 2015-04-30 05:51 | 日記 | Comments(0)

わたしにあるものとは?

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おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。(マタイ13章12節)

 これはイエス様がよく語られた言葉で、タラントの譬えでも言っております。ここで「持っている人」と「持っていない人」とが登場します。一体何を持っており、何をもっていないのかが気になります。持っていない人は、持っているものまで取り上げられるという文章は、論理的に不可解です。持っていないのだから、取り上げるものもないとも考えられます。

 昔、私がアメリカに留学していた頃にBible Studyの時間にみんなでこの聖句を考えました。一人の若者が「これは信仰だと思う」と言いました。信仰がある人と、信仰が無い人。私はそれを聞いてなるほどと思いました。別の若者がこう言いました。「これは愛だと思う。愛は他者に与えれば与えるほど、神様が豊かに与えてくださるから。」その意見にもみんなで納得しました。

 ある教育者は、この聖句は教育現場で見られると言います。基礎を悟る子は応用ができるが、基礎がしっかり理解できないと応用もできない。またある経済学者は、これは経済の論理だと言います。富める者はいよいよもっと豊かになり、富まない人は持っているものも取られて無くなってしまう。このようにこの聖句は読む立場によっていろいろと解釈できる聖句です。

 それではこのときこの奥義を聞いた弟子たちのその後の人生はどうだったでしょうか。弟子たちは裕福となったでしょうか。賢い者となって応用が利いたでしょうか。彼らはみな最後には殉教の死を遂げて行きました。ペテロ自身が使徒行伝3章でこう言っています。「金銀はわたしにはない。しかし、わたしにあるものをあげよう。」 さて、このときペテロがもっていたものは何だったでしょうか。

 イエス様のみことばを聞いて、イエス様から与えられたもの。それはイエス様を信じるあなたが今もっているものです。ぜひあなたも考えてみてください。あなたがイエス様からいただいたもの。そのときあなたもペテロと同じように言うことができます。「金銀はわたしにはない。しかし、わたしにあるものをあげよう。」 
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by carbondalle1996 | 2015-04-29 05:52 | 日記 | Comments(0)

信仰の実践

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だから、彼らには譬で語るのである。それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。(マタイ13章13節)

 イエス様は今まで多くの奇跡をなさいました。そして天国のメッセージを語りました。それでも律法学者やパリサイ人はイエス様をメシヤとは認めず、悪霊の頭だとさえ言いました。群衆の中にもこれと同調した人々が大勢いたのでしょう。彼らは見ても見ず、聞いても聞かず、悟らない状態だったのです。

 先週18日に伊藤ハナ姉が天に召されました。20日に秋田中央教会で葬儀をして、21日に納骨式をしました。急なできごとでしたので、いくつかの問題もありました。自然と愚痴も出てきます。ところが一緒にいたA姉の口からは一切のそうした愚痴も出ず、ずっとみんなの話が終わるのを待っているようでした。終わると話題を感謝な出来事に変えて場を明るくする努力をしていました。ところがまた話が愚痴に戻ろうとすると、「そこに戻らないの」と注意してくださいました。

 私はA姉の姿を見て立派だと思いました。大和教会はすばらしい信徒教育をされておられると感動しました。考えてみると私たちも大川先生を通して同じメッセージを聞いています。同じメッセージを聞いて、A姉のようにいつも感謝を告白する人もいれば、私のように愚痴を言う者もいるのです。イエス様がいくら福音を語っても悟る弟子たちもいれば、そこに悟らなかった人々がいました。これは決して他人事ではなく、私たち自身にも言えることだと思いました。

 私たちはどれだけ普段口から感謝を告白しているでしょうか。A姉と私の妻が電話していたときのことです。電話口の向こうから飛行機の轟音が聴こえてきました。妻がA姉に「ジェット機の音がうるさいね」と言うと「住めば都で全然気にならないよ」と言ったそうです。私はそれを聞いて感動しました。大川先生はいつも否定的な言葉を口から出さず、積極的、肯定的、信仰的な言葉、感謝を口にしなさいと言っていますが、まさにA夫妻はきっと毎日そのように家庭の中で実践されているのだと思いました。

 私たちは普段から聖書を読みメッセージを聴いています。しかし、そこからどれだけ聖書のメッセージを悟り、理解し、実践しているでしょうか。聖書の奥義はメッセージを悟らない者には隠されているのです。ですから聖書のみことばを理解し、悟る者となりましょう。その人にイエス様は聖書の奥義を解き明かしてくださいます。
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by carbondalle1996 | 2015-04-28 06:13 | 日記 | Comments(0)

神の国の奥義

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 「種まきの譬え」は、マタイ・マルコ・ルカの3つの福音書に書かれているとても有名なお話しです。ある日、イエス様が群衆に向かって舟の上から種蒔きの譬えを話しました。何の種かはわかりません。小麦だったか、大麦だったでしょうか。野菜だったかもしれません。とにかく種を蒔きました。日本人だったら丁寧にそこに指で穴を作り、そこに種を数粒入れて土で覆います。ところがユダヤ人はおおらかなのでしょう。種をそのまま土の上に蒔きます。

 するとどうでしょうか。ある種は道端に落ちてしまいました。道端に落ちた種は鳥が来て食べてしまいました。ある種は土の薄い石地に落ちた為、根がないためにすぐに枯れてしまいました。またある種はいばらの地に落ちました。するといばらが伸びてふさいでしまいました。しかし良い地に落ちた種は実を結び30倍、60倍、100倍の収穫を得ました。

 これがイエス様の譬え話です。これだけを聞いてもさっぱりわかりません。ですから弟子たちはイエス様に近づいて「どうして彼らに譬えでお話になるのですか」と尋ねました。弟子たちの意図は、譬えではなく直接的なお話をしてくだされば人々はもっと理解したでしょうにという思いが込められています。これに対するイエス様の答えはどうでしょうか。

そこでイエスは答えて言われた、「あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。(マタイ13章11節)

 これが、イエス様が群衆に譬えでお話された答えです。群衆には天国の奥義を知ることが許されていないからです。ルカ福音書には神の国の奥義とあります。

 私たちが普通たとえ話をするときというのは、伝えたいメッセージを相手に分かりやすく理解させるために使います。昔の財務大臣が国の一般会計と特別会計の状況を「母屋でおかゆをすすりながら、離れではすき焼きを喰っている」と表現して、特別会計の無駄使いを国民に一瞬で広めたということがありました。このように譬え話は伝えたいメッセージを理解しやすくするために使います。

 ところがユダヤ人の場合は違います。ヘブル語の譬えという言葉には「覆い隠された」という意味があります。つまり伝えたいメッセージをあえて覆い隠して見えなくするのがユダヤ人の譬え話です。ここでは天国の奥義を隠すためにこの譬え話が紹介されました。

 私たちには天国の奥義、神の国の奥義は覆い隠されています。あなたはそれを知りたいと思いませんか?教会にはこの覆い隠された奥義が与えられています。この天国の奥義をあなたにも知ってほしいのです。どうぞ教会へいらしてください。神様が全人類に表さなかった奥義が教会に与えられています。

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by carbondalle1996 | 2015-04-27 06:03 | 日記 | Comments(0)

日本を美しくする会

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 イエローハットと言えば誰もが知る自動車部品販売の一部上場会社。その創業者である鍵山秀三郎氏は「日本を美しくする会」の相談役でもあります。鍵山氏は人を恨むことが嫌い。なぜなら恨みは心のすさみを生み世の中が悪くなるから。そうじ好きの両親から貧しくてもきれいに暮らせることを教わった鍵山氏は、人の心を変える『そうじの力』を実社会でも学んできたという。

 創業当初、入社してくる社員はいろんな所で辛い目に会って、心がすさみ荒れた人たちばかり。鍵山氏は社員の心をなんとか穏やかにしたいと考え、そのために職場環境をきれいにすることを始めようとまずトイレ掃除をスタート。「掃除なんかしても無駄だ」「うちの社長は掃除しかできない」と陰で批判する社員や、掃除している横で用を足す社員もいたという。こうして最初の10年間は鍵山氏が1人で掃除をして、手伝おうという社員は1人もいなかったそうです。しかし10年を過ぎた頃から、一人、二人と掃除を手伝う社員が生まれ、20年を過ぎた頃にはほとんどの社員が自発的に掃除をするようになったという。

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 そうじを通して社員の心のすさみが謙遜と感謝に変わり、それはイエローハットを利用する顧客に伝わり、結果的に会社への信用と売り上げ増加に繋がったという。その後「掃除の仕方を教えてほしい」という依頼が企業や学校からもくるようになり、「日本を美しくする会」が立ちあがり、活動は日本全国及び海外にまで広がった。 

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 教会の活動も手段は違いますが世界を美しくしたいという思いは同じ。鍵山氏は掃除を通してですが、教会は伝道を通して行います。人々の荒れすさんだ心を感謝と愛に満ちた心に変えたい。一人でも多くの人々に神様の愛を知ってほしい。みんなで神様の愛を伝える足となりましょう。
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by carbondalle1996 | 2015-04-26 14:53 | 日記 | Comments(0)

伊藤ハナ姉召天

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 先週18日15時55分、私たちの愛する伊藤ハナ姉(94歳)が天に召されました。伊藤ハナ姉が洗礼を受けたのは一昨年の6月です。柴田先生が秋田に来てくださったときに、ハナさんの病室を訪問してくださり、そのときイエス様を救い主として心に迎え、洗礼を受けました。人生の晩年にイエス様を心に迎え入れて、この2年間はそれまでの92年の歩みとは違う人生だったと思います。

 内村鑑三先生は、後世に残す最大の遺産とはお金や土地や教育や会社ではなく、清く勇ましい高尚な生涯であり、それは神への信仰だと言っています。信仰とはこのように本来、親から子へ、子から孫へと伝えられるものですが、伊藤ハナ姉の場合は逆になりました。一番大切にしていた長男の吉雄兄から信仰という霊的遺産を受け取りました。そして天国の切符を手にしました。ですから伊藤兄は兄弟の中で最高の親孝行をしたと思います。
 
 私たちは全員100%死にます。死なない人はいません。早いか遅いかの違いです。死んだら何処へ行くのか。聖書ははっきりとその答えを指し示しています。私たちはこの地上での生涯を終えたならば、天国へ帰ります。イエス・キリストは、十字架に架かり、死んで葬られ、三日目に復活されました。それは私たちに人生が死で終わるのではなく、本当の人生が天国にあることを教えてくださったのです。ですから伊藤ハナ姉とはしばしのお別れです。私たちが天国に帰ったとき、主の御前でハナ姉と再会します。ハレルヤ!
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by carbondalle1996 | 2015-04-25 14:20 | 日記 | Comments(0)

聖霊の宮

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汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからない。そこで、出てきた元の家に帰ろうと言って帰って見ると、その家はあいていて、そうじがしてある上、飾りつけがしてあった。そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人ののちの状態は初めよりももっと悪くなるのである。よこしまな今の時代も、このようになるであろう」。(マタイ12章43~45節)

 イスラエルはバビロン捕囚を経験し、エズラやネヘミヤの指導の下に国を再建しました。エズラはもう二度とバビロン捕囚のようなことがないようにとイスラエル人が律法から逸れることがないようにと聖書学校を開きました。そして大勢の律法学者を輩出しました。ところが彼らが教えは行いによる義を求める方向で、それは家をそうじして飾り付けしているような状態。その家に主人がいないため追い出された悪霊は仲間と共に帰って来てそこに住みこむというものです。その結果、イスラエルはバビロン捕囚よりもっとひどい結果を招いてしまったのです。

 大切なことは悪霊を追い出した家に正しい主人に住んで頂くこと。私たちの身体は家です。私たちがどんなにすばらしい道徳を身につけて、教養を学び、善行を積み上げて自分自身という家を綺麗に掃除しても、そこに自己中心の私が住めばどうでしょうか。サタンは私たちの怒り、恨み、妬み、嫉妬などそうした心を足場にして入ってきます。サタンが入らないようにするにはどうしたらいいのでしょうか。真の主人を迎え入れることです。悔い改めた私たちの心にイエス・キリストという主人を迎え入れること。

 家は住む人によってその価値が決まります。天皇陛下が江戸城に移ったとき、そこは江戸城から皇居に変わりました。ホワイトハウスはアメリカの大統領が住むゆえにホワイトハウスと呼ばれます。あなたという身体が家だとしたら、あなたの中に誰が住むかによって、あなたの家の価値が決まります。イエス・キリストがあなたの主人となってくださるとき、あなたの身体は聖霊の宮となります。そこに私たちの希望と喜びの人生があります。イエス様を迎えて希望ある人生を歩みましょう。
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by carbondalle1996 | 2015-04-24 06:41 | 日記 | Comments(0)

配られたカードで

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 昔、アメリカの大統領でドワイド・アイゼンハワーという人がいました。彼があるときこういうことを言いました。私は人生というゲームに勝利する方法を敬虔なクリスチャンだった母親から教わりました。彼は子供の頃によく家族でトランプをして楽しんだそうです。あるときいつものように家族でトランプをしていた時のことです。母親がカードを子供たちに配りました。ドワイト少年は自分にジョーカーが回ってきたので、彼はつい「ママ、どうして僕にこんなひどいカードを配ったの。こんなカードじゃ勝てないよ」と愚痴をこぼしました。すると母は急にゲームをストップさせ、真面目な口調でこう言ったのです。

 「子供たちカードをそこに置きなさい。そしてお母さんの話をよく聴きなさい。貴重なアドヴァイスがあります。今私たちは愛する家族の中でカードゲームをしています。だからお母さんがあなたに故意に悪いカードを配るなんてことはありえない。でもあなたがたが大きくなって社会に出たら、故意に悪いカードをあなたに配る人もいるでしょう。その時は配られたカードで勝負しなさい。決して不平不満を言ってはなりません。配られたカードで勝負しなさい。そして困ったときは神様に助けを求めなさい。そうすれば必ずその問題を乗り越えることができます。

 人生を配られたカードで勝負をするということは、与えられた状況や環境を感謝して受け入れて、その中で神様の助けを頂きながら生きるということです。そうすれば必ず成功する。お母さんの言葉がドワイド少年の心に残りました。子供に生涯の支えとなるような言葉を残すことができるお父さん、お母さんはどんなにすばらしいでしょうか。

 アイゼンハワー将軍は第二次世界大戦で何度も何度も困難な状況に置かれました。そのたびに神様に助けを求めて、問題を乗り越えました。そして大統領になったときも、さらに多くの問題や困難に遭いました。そしてそのたびに母親の言葉を思い出し、与えられた状況や環境を感謝して受け入れて、神様に助けを求めながら決断をしました。そして最後に勝利を得たのです。
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by carbondalle1996 | 2015-04-23 06:01 | 日記 | Comments(0)

感謝する生活

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ニネベの人々が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、ニネベの人々はヨナの宣教によって悔い改めたからである。しかし見よ、ヨナにまさる者がここにいる。南の女王が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果から、はるばるきたからである。しかし見よ、ソロモンにまさる者がここにいる。(マタイ12章41~42節)

 イエス様はここで旧約聖書の二つの出来事をもってパリサイ人や律法学者を非難しました。一つはヨナの宣教です。悔い改めたニネベの人々が裁きの場に立って、パリサイ人や律法学者を罪に定めると言いました。なぜならばニネベの人々は、ヨナのことばを神様のことばとして受け入れて悔い改めたからです。今ここにヨナにまさるイエス様が悔い改めを説いても、彼らは悔い改めませんでした。

 同じように南の女王が裁きの場に立って、パリサイ人や律法学者たちを裁くときがきます。なぜならば、南の女王はソロモンの智恵を聞いて、それを神様の智恵と受け止め、悔い改めて神様を信じたからです。この二つの話に共通していることは、異邦人が悔い改めて救われたということです。

 パリサイ人や律法学者にとっては、罪人である異邦人が救われて天国に入るということはありえないことです。彼らは自分たちこそ天国へ入り、異邦人はみな罪のために地獄へ落ちると思っていました。しかし、イエス様はそうではないとおっしゃったのです。パリサイ人等が裁いている異邦人が救われ、裁きの場で彼らを罪に定めると言ったのです。なぜならば、彼らは悔い改めて神様を信じたからです。そしてあなたがたも悔い改めなければ、天国へ入れないと言ったのです。

 このメッセージはそのまま私たちにも向けられたメッセージです。悔い改めるという言葉はギリシア語でメタノイアと言います。これは方向を180度転換するという意味です。私たちの向きを180度転換する。今まで自分中心で生きてきた人生を、神様中心の人生に向きを変えるということ。それは不平不満を口にする人生から感謝する人生に変わることです。

 あなたは日々感謝を実践していますか?辛い出来事や悲しい出来事、マイナスと思える状況の中で神様の御手を信じて感謝していますか・悔い改めて福音を信じる人生とは、すべてを感謝する人生です。全ての出来事を感謝しましょう。
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by carbondalle1996 | 2015-04-22 23:47 | 日記 | Comments(0)

メシヤのしるし

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すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。(マタイ12章40節)

 明らかにされたしるしを認めて、わたしの罪を赦してください、わたしを救ってください、と願い求めるのか。それとも、自分の罪を認めないで、「しるしを見せてください」と言うのか。もし自分の罪を認めまいと頑張っているならば、どんな奇跡を見てもメシヤだと認めないでしょう。しかし、もし主に赦しと救いを求めるならば、主が与えてくださる特別なしるしがあります。イエス様はそのしるしを「預言者ヨナのしるし」と呼びました。

 ヨナが三日三晩大魚の腹の中にいてそこから生還したように、人の子も三日三晩地の中にいてそこから復活します。それは十字架にかけられて死なれたイエス様が葬られて陰府に降り、三日目に復活することを指しています。これがメシヤの到来に伴う決定的なしるしです。十字架と復活こそが唯一のしるしなのです。

 あなたは救い主のしるしを求めていますか?それはすでに2千年前にゴルゴダの十字架の上でイエス様がなされました。全人類の罪の身代わりに十字架に架かり死なれて、三日目に陰府から戻り、復活されました。主は死を打ち破り、死に勝利されました。これがあなたのために与えられたメシヤのしるしです。イエス・キリストを救い主として迎えるならば、あなたも救われます。
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by carbondalle1996 | 2015-04-21 11:15 | 日記 | Comments(0)