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5つのパンと2匹の魚

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人間の究極的課題

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 人が何処から来て何処へ行くのかという問題はとても大切な問題です。この問題について考える人は、おそらく愛する人の死に接した経験がある人だと思います。妻はおばさんの死を通して人が死んだら何処へ行くのかということを真剣に考え、それがイエス・キリストを信じる決断に繋がったと言います。

 私が初めて人の死に接したのは小学校1年生のときでした。私が通っていたシャローム幼稚園の親友にAくんがいました。あるとき幼稚園の先生が我が家を訪問してくださいました。そのとき先生は、「Aくんが交通事故に遭って亡くなってしまった」と聞きました。

 この事故は私にとって初めて「死」というものを教えてくれました。そして私の中に人は死んだら何処へ行くのかという疑問を抱くきっかけとなりました。子供だからと言って人生の根本的な問題に無関心ということはありません。敏感な子供は物ごころついた頃から、大人以上に「人は死んだら何処へ行くのか」という問題を敏感に考えております。

 多くの人々は、「人は何処から来て何処へ行くのか」という人間の究極的課題に対して考えること無しに、とりあえずの人生を生きているように思えます。しかし、それはなんと生きるべき本来の姿から離れていることでしょうか。聖書は唯一、この人間の持つ究極的課題にはっきりと答えをもっています。そしてこの答えを知った者は希望に満ち溢れた人生を送ることができるのです。
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by carbondalle1996 | 2015-05-31 23:17 | 日記 | Comments(0)

流れに遡って泳ぐ魚

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 隅谷三喜男さんは東京女子大学の学長を務めていたとき、体調不良の為に入院検査をしました。二日後に奥様が病院に呼ばれてご主人が直腸癌であることを告知されました。隅谷先生ご夫妻はクリスチャンですので、かねてからもし癌の告知を受けたら正直に話そうと決めていたそうです。そこで奥様は御主人の隅谷先生に病名が癌であること。そして余命が1年であることを告げました。

 このときの心境を隅谷さんはこう言っています。「別に告知されても動揺はおぼえなかった。ただもうしばらく生きたいと思った。いくつかのやりかけた仕事が残っていたからである。」事実、東京女子大学では入学試験が控えており、その後はアメリカの大学での講演も予定されており、隅谷さんは神様に『もう少し時間をください』と祈ったそうです。
 
 そしてその年の入試が終わると手術をし、抜糸も終わる前にアメリカへ渡り幾つかの大学で講演活動をしたそうです。帰国した6月には2回目の手術をしたそうです。翌月の7月には新たな癌が発見され、また手術をしました。短期間に3回の手術をしました。余命1年と言われた隅谷さんですが、残りの仕事を考えるとあと5年生きたいと思い神様に「あと5年生かしてください」と祈ったそうです。そして自分で仕事の5年計画を立てたそうです。

 1988年に東京女子大学の学長を辞任しましたが、なかなかミッションスクールとの関係が切れずフェリス女学院の理事や恵泉女子大学の理事長を務めたそうです。またキリスト教の海外医療協力隊の理事の働きもしたそうです。そして気がついてみると自分が立てた5年計画が終わっていました。そこで隅谷さんは3年計画を立てました。蔵書の整理だとか残務処理のために3年が必要だと考え、再び神様に「あと3年生かしてください」と祈りました。

 隅谷さんの大好きな言葉があります。「死んだ魚は流れのままに流されるけれど、生きている魚は流れに逆のぼって泳ぐ。」つまり霊的に死んだ人々はただ世の中の流れに流されて行くだけだが、霊的に生きている人は神様から力を与えられるから、神様の使命に向かって進むことができるというものです。

 そして隅谷さんは2003年の2月に天に召されました。つまり隅谷さんは病院から癌だと告知され、余命1年と宣言されてから17年間生かされたそうです。そしてその間も隅谷さんは毎週の礼拝に参加され、聖書を読んで祈るという生活を欠かさなかったそうです。隅谷さんは、朝毎に聖書から新しい力を得て、毎週の礼拝で神様によって新しくされて力を得たそうです。それが17年間も命が長らえた理由だと隅谷さんはおっしゃっています。
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by carbondalle1996 | 2015-05-30 08:47 | 日記 | Comments(0)

聖霊は愛

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わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である。(ヨハネ14章16節)

 三位一体の神様の第一格は父なる神様です。第二格が子なるイエス様。そして第三格が聖霊なる神様。神様とイエス様と聖霊様は全く別人格ですが、唯一なる神様です。これは無理にわからなくても結構です。聖書の奥義で最も難しい真理です。しかし、今日おぼえて頂きたいことは、神様がイエス様を天に引き挙げました。そしてイエス様の代わりにイエス様と全く同じ聖霊なる神様をこの地上に送ってくださいました。どうしてでしょうか。それは私たちを愛しているからです。

 私たちの心にいつもイエス様がおられると考えるとどうでしょうか。私たちがどんな絶望に陥っても、そこに希望があります。どんな嵐に押しつぶされても、イエス様が心にいるから平安があります。イエス様と全く変わらない聖霊なる神様がいつも私達と共におられ、私たちに希望と平安を与えてくださいます。
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by carbondalle1996 | 2015-05-29 09:03 | 日記 | Comments(0)

イエス様の穴を埋められるのは

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 イエス様は自分が去って行くことが、実は弟子たちにとって益となると言いました。なぜならば弟子たちのところに助け主がやってくるからです。それをギリシア語ではアロス・パラクレイトスと訳しました。それは、別は別でも全く同じ存在だと意味です。そのような事は人間の世界ではありえないことです。

 弟子たちにとってイエス様の代わりはイエス様以外ありません。弟子たちの心にぽっかり空いてしまったイエス様という穴を埋めるには、どんな優秀な学者や王様を連れて来ても埋めることはできないのです。その穴を埋められるのはイエス様だけです。イエス様の穴を埋められるのはイエス様だけ。

 イエス様はこの真理を知った上で弟子たちに「わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ」と言いました。それは別の助け主、アロス・パラクレイトスという別は別だけどイエス様と全く同じ神様が来てくださり、いつまでも共にいてくださるからです。それが三位一体なる神様の第三格である聖霊なる神様です。

わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である。(ヨハネ14章16節)

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by carbondalle1996 | 2015-05-28 08:57 | 日記 | Comments(0)

助け主がやってくる

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その後わたしはわが霊を/すべての肉なる者に注ぐ。あなたがたのむすこ、娘は預言をし、あなたがたの老人たちは夢を見、あなたがたの若者たちは幻を見る。(ヨエル2章28節)

 イエス様が復活された日曜日から数えて50日目の朝に弟子たちの上に聖霊が望みました。これは驚くべきこと。旧約聖書にも神の霊が注がれるということは書かれておりますが、それは神様によって選ばれたサムソンやダビデなどの特別な人だけでした。ところがこの日、聖霊は大勢の人々に注がれました。一同は聖霊に満たされて、いろいろの他国の言葉で語り出したとあります。これはヨエル書の預言の成就です。

 イエス様がいなくなって弟子たちはイエス様ロスの経験をしました。突然イエス様がいなくなってしまうのですから、弟子たちの混乱はどうだったでしょうか。しかしイエス様はそうした弟子たちの困惑を知っていました。ですから前もってイエス様は弟子たちにこう言ったのです。

しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。(ヨハネ16章7節)

 イエス様は自分が去ることが弟子たちの益になると言いました。なぜならばイエス様の代わりとなる助け主がやってくるからと言われたからです。
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by carbondalle1996 | 2015-05-27 05:38 | 日記 | Comments(0)

イエス様ロス症候群

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 十字架後の弟子たちの心境はまさにイエス様ロス症候群です。愛して慕ってきたイエス様が突然十字架で死んでしまったのですから、もう田舎に戻って漁師をするなり、畑作業をするしかありません。弟子たちは絶望の中を家路に着きました。考えてみるとイエス様の代わりが務まる人はいません。イエス様の代わりは、ペテロでもヨハネでもダメです。イエス様の代わりはイエス様しかできません。

 そのような状況の中で復活のイエス様が弟子たちの前に現れたのです。弟子たちの心はどれほど喜びに充たされたでしょうか。復活したイエス様は40日間弟子たちと共に過ごし、やがて弟子たちの見ている前で天に挙げられました。

 しかし、もこのときはイエス様ロスなどというような虚脱感はありません。イエス様がメシヤだったことを知った喜びに充たされました。そして弟子たちに「上から力が与えられるまでエルサレムで待っていなさい」と命じました。それがペンテコステの日に起こりました。ペンテコステとは、イエス様の復活の日曜日から50日目の日曜日です。ユダヤ教で言えば七週の祭りです。この日、エルサレムで祈っていた弟子たちの上に聖霊が下りました。

五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。(使徒行伝2章1~4節)
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by carbondalle1996 | 2015-05-26 06:31 | 日記 | Comments(0)

ハシロス症候群

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 先週5月17日は大阪都構想の住民投票が大阪市で行われました。私は住民投票の結果にとても興味をもって夜遅くまでその結果を見守っておりました翌朝はその疲れが残り、一日中身体がだるかったのを覚えています。新聞を読むとある人々の中には、「ハシロス症候群」だと載っていました。ハシロス症候群とは何かというと、橋下徹大阪市長がこれまで大阪都構想を押し上げてきましたが、それが否決されて、それだけに集中して走ってきた人々の間に起こる橋下氏無き後の虚脱感だそうです。

 これはカリスマリーダーが突然無くなった後によく起こるそうです。信頼していたリーダーが突然辞めてしまって虚脱感に襲われたという経験。実は二千年前のイスラエルでイエス様の弟子たちはこれを経験したのだと思います。イエス様こそイスラエルを救ってくださるメシヤだと思って従って来たが、ユダヤ人に捕えられ十字架に架かって殺されてしまった。

 その状況が一番よく描かれているのがエマオ途上です。このとき二人の弟子はイエス様に望みをかけていましたが、イエス様の突然の死のよって打ちのめされ、虚脱感に襲われ故郷エマオへ戻る途中でした。それは絶望の家路。しかし、そのような弟子たちの前にイエス様が顕れてくださいました。絶望は希望に変わり、不安は平安に変わりました。

 私たちの人生も同じです。人に頼っているとその人がいなくなると虚脱感に襲われます。しかし、イエス・キリストに寄り頼むならば、必ず絶望は希望に変わり、闇は光となり、不安は平安に変わります。この方に信頼して歩みましょう。

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by carbondalle1996 | 2015-05-25 05:30 | 日記 | Comments(0)

assuredly gathering that

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 先週、日本経済新聞の文化面にある「私の履歴書」の記事に目が留まった。㈱日立製作所相談役の川村隆さんが社長を引き受ける際の記事でした。

 今から6年前の2009年3月、齢69歳に達し、「そろそろ引退」と考えていたときに日立製作所の会長から電話があった。それは「川村さんに次期社長を引き受けてもらいたい」という突然の申し出だった。前年の秋にはリーマン・ショックが起こり、日立グループも深刻な経営危機に陥り、その年は7千億円を超える巨額の最終赤字を計上。

 私は「少し時間が欲しい」と言って受話器を置いた。友人何人かに相談すると、「晩節を汚すから、やめたほうがいい」「一度傾いた巨艦を元に戻すのは簡単ではない」と否定的な意見が多い。自分の中には「ここで逃げていいのか」という気持ちもあり、しばしあれこれ考えたが「よし、やってみよう」と決意した。

 決断に当たり一つの事件の影響もあった。1999年7月に羽田発札幌行きの全日空61便がハイジャックされる事件があり、私は偶然この便に乗り合わせた。「当機はハイジャックされました」と機内放送があり、あちこちから悲鳴が上がった。犯人は機長を刺殺し、地面がぐんぐん目の前に迫り、多くの乗客が死を覚悟した。

 そのとき偶然その便に乗っていたパイロットのAさんが、コックピットのドアを蹴破り、犯人を取り押さえて機体を立て直した。非番だろうが何だろうが「自分しかいない」と思えば、勇気を持って飛び込んでいく。Aさんの勇気に倣って、私も日立の社長として経営の操縦かんを握ることにした。事の成否は神様以外だれにも見当がつかなかった。あれから6年、会社は過去最高益を更新しV字回復を遂げた。

“パウロがこの幻を見た時、これは彼らに福音を伝えるために、神がわたしたちをお招きになったのだと確信して、わたしたちは、ただちにマケドニヤに渡って行くことにした。” (使徒16章10節)

 私達も時として決断に迷う事がある。使徒行伝16章でパウロがマケドニヤ宣教を決断したとき、「確信して」渡ったとある。この「確信して」という言葉の英語訳は「assuredly gathering that」とあり、「よく熟考した結果」という意味。大川先生は、幻や預言も大切だが、バランスを取ることが大切と教えてくださった。

 神様に祈り、聖書の御言葉を求め、伝道者に相談しアドバイスを請う。決断を迫られた時には、幻を見ながら状況を熟考し、聖霊の導きを仰ぎ判断するよう心掛けましょう。今日は聖霊降臨記念日。ペンテコステ礼拝。

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by carbondalle1996 | 2015-05-24 17:55 | 日記 | Comments(0)

中華料理の盛

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          今日は金田兄と一緒に昼食

          美味しいと評判の八橋にある

          中華料理の盛へ行ってきました

          このお店の十八番料理

          ニラレバ傷め定食を食べました

          最高に美味しかったです!

          みなさんもぜひどうぞ!
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by carbondalle1996 | 2015-05-23 17:55 | 日記 | Comments(0)

わたしにできること

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そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。 いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。(マタイ25章34~40節)

 私たちは全財産を投げうって天国を買うことはできないかもしれませんが、隣人を助けることはできます。それはほんの小さな親切かもしれません。しかしイエス様は言いました。「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。」隣人を愛する者となりましょう。
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by carbondalle1996 | 2015-05-23 07:24 | 日記 | Comments(0)