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5つのパンと2匹の魚

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神様の御手にある鉛筆

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 マザー・テレサはあるとき汽車の中からインドの貧しい人々の生活を見ていたとき、神様から語られました。そしてマタイ25章40節のみ言葉が示されました。

すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。(マタイ25:40)

 このみ言葉が与えられて、マザー・テレサはローマの修道会本部に出て行ってインドの人々に仕える許可を願い出ましたが許可がおりませんでした。修道院の中にいれば安全な生活ができました。しかし、一歩壁の外に出ることは、すぐに路用に迷うことを意味しました。しかし、テレサの意思は固く、それから2年後に許可を得て、彼女はカルカッタの貧民街に出て行き、宣教活動を始めました。最初は広場に出て行き、貧民街の子供たちに文字を教えて、青空教室を開きました。

 最初、インド政府はマザーのこの働きを妨害しました。それはマザーがインド国内のそうした貧しい人々の存在を世界に知らせているということで反対しました。しかし、やがて彼女の働きは認められ、多くの協力者が与えられました。そして1979年にノーベル平和賞を受賞しました。マザー・テレサがこのような言葉を残しています。

 「わたしは神様の御手にある鉛筆にすぎません。鉛筆は握られた方によって決まります。有名な作家が鉛筆を握ったならば、それはベストセラー小説となります。有名な詩人が握れば、それは人々に感動を与えるすばらしい詩となります。鉛筆は誰の手にあるかによって価値が決まります。ですから私がすばらしいのではありません。私を握って下さっている神様がすばらしいのです。」
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by carbondalle1996 | 2015-09-30 06:24 | 日記 | Comments(0)

十二の籠に一杯だった

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みんなの者は食べて満腹した。パンくずの残りを集めると、十二のかごにいっぱいになった。食べた者は、女と子供とを除いて、おおよそ五千人であった。(マタイ14:20)

 5つのパンと2匹の魚を配った結果、みんなの者は食べて満腹したばかりか、パンくずの残りを集めると十二の籠に一杯だったとあります。「食べた者は、女と子供とを除いて、おおよそ五千人であった」とありますから、ある学者は少なくとも群衆は二万人はいたであろうと言っています。

 ユダヤ人は多産ですから、子供の数を入れるともっと多かったという人もいます。しかし、それが五万人でも十万人であったとしても問題ではありません。イエス様は、何の役にも立たないと思われた5つのパンと2匹の魚から、群衆のお腹を充たす食料を与え、余ったのを数えると十二の籠に一杯だったのです。これが神様の祝福です。

 ある人は考えました。十二の籠に余ったパンと魚はその後どうなったのでしょうか。籠が十二だから十二弟子がもらったと考える人もいます。もっとも貧しい人に与えたと考える人もいます。ある人はこう考えました。1つの籠はきっと5つのパンと2匹の魚をイエス様に差し出した少年がもらっただろう。そして少年はこう言ったのではないでしょうか。「イエス様に差し出したら、食べきれないくらいたくさんの祝福になって返ってきた」と。

 私たちがイエス様に手の中にある精一杯のものを捧げるとき、それは他人から見ればわずかでしかないかもしれません。しかし、イエス様はそれを何百倍にも祝福し、私たちの手に返してくださるお方です。主に信頼して今日も歩みましょう。
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by carbondalle1996 | 2015-09-29 06:37 | 日記 | Comments(0)

御名を誉め讃える

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そして群衆に命じて、草の上にすわらせ、五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさいて弟子たちに渡された。弟子たちはそれを群衆に与えた。(マタイ14:19)


 イエス様は5つのパンと2匹の魚を手に取って、天を仰いで祝福したとあります。これは祝福という意味もありますが、「誉め讃える」と訳した方が正しいと思います。イエス様は、何の役にも立たないと言われたパンと魚を手にとって、神様がくださった恵みを感謝して、神様を誉め讃えました。そしてパンを裂いて、弟子たちに渡しました。パンを裂くごとにそれは増えていったのではないでしょうか。

 私達も日毎の糧を与えてくださっている神様に感謝しているでしょうか?時にはそれを取り、高く掲げて神様の御名を誉め讃えることをしても良いのではないでしょうか?考えてみると、日々、私たちはたくさんの恵みを頂いていることに気づくのではないでしょうか。今日も主の御名を誉め讃えましょう。
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by carbondalle1996 | 2015-09-28 06:18 | 日記 | Comments(0)

赤い花もあれば

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そして群衆に命じて、草の上にすわらせ、五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさいて弟子たちに渡された。弟子たちはそれを群衆に与えた。(マタイ14:19)

 パンと魚の奇跡が起きたのは過越の祭が近づいた頃です。過越の祭というのは、3月下旬から4月上旬です。ですから季節は春です。ですからこの草の色は緑色だと想像できます。その草の上に群衆を座らせました。秩序なくばらばらに座らせたのではなく、五十人ずつ、百人ずつまとまって座らせたとあります。

 マルコ福音書ではこのまとまってという言葉が、花壇という言葉が使われています。人々のいろいろな服装の色が、まるで花壇に咲く花のように見えたのでしょうか。とても描写的です。青い空と緑の草。そこに座る人々はまるで花壇に咲く花のようであった。これはこの光景を見た人でないと語れない言葉です。マルコ福音書はペテロの言葉を後述して書かれたと言われていますから、きっとペテロにはこのときの光景が丘に咲く花々のように見えたのでしょう。

 私たちの存在は花壇に咲く花々のよう。美しいですね。赤い花もあれば、黄色、みどり、青、・・・。一人一人が違った色をもっている。それが全体として素晴らしい光景を造る。教会はそのような場だと思います。そして神様は私たちをそのように尊く見ておられる。神様の目にはあなたは高価で尊い存在。神様はあなたを愛しています。神様の愛を受けて今日も歩みましょう。
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by carbondalle1996 | 2015-09-27 06:04 | 日記 | Comments(0)

それをここに持ってきなさい

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イエスは言われた、「それをここに持ってきなさい」。(マタイ14章18節)

 これは、イエス様の有名なことばです。5つのパンと2匹の魚など、この群衆の前では焼け石に水ですよ。何の役にも立ちませんよ。弟子たちはそう考えたでしょう。しかしイエス様は、その役に立たないと思われた5つのパンと2匹の魚を指して、「それをここに持ってきなさい」と言いました。
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by carbondalle1996 | 2015-09-26 11:49 | 日記 | Comments(0)

二百デナリものパン

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するとイエスは言われた、「彼らが出かけて行くには及ばない。あなたがたの手で食物をやりなさい」。(マタイ14章16節)

 ここでイエス様は「あなたがたの手で食物をやりなさい」と言いました。今までのイエス様だったらそのようなことは言いませんでした。しかし、バプテスマのヨハネが死んだというニュースを聴いて、イエス様の宣教は大衆伝道から弟子訓練へと大きく舵を切りました。イエス様は弟子たちに向かって、「あなたがたの手で食物をやりなさい」と弟子たちに課題を与えました。それを聞いた弟子たちは困惑しました。

 ヨハネ福音書を見るとピリポという弟子が「二百デナリものパンがあっても足りないでしょう」と言いました。1デナリは労働者の1日分の給料です。ですから二百デナリといえば、労働者の二百日分のお金です。例えば、1日の日当が約5000円だと仮定したら、二百日分の賃金は100万円となります。パンが1個100円だとして、一人に2個ずつパンを与えたとしたら、5000人分のパンとなります。それでも足りないとピリポは考えました。
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by carbondalle1996 | 2015-09-25 11:36 | 日記 | Comments(0)

断食祈祷聖会

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しかしイエスは、彼らに言われた。「あなたがたで、何か食べる物を上げなさい。」彼らは言った。「私たちには五つのパンと二匹の魚のほか何もありません。私たちが出かけて行って、この民全体のために食物を買うのでしょうか。」(ルカ9章13節)

 昨日23日から2泊3日の断食祈祷聖会に参加。場所は栃木県にある日光オリーブの里。今回の講師は、松山福音センターの万代栄嗣先生。ルカ9章の「5つのパンと2匹の魚」から私達クリスチャンの再献身が迫られる熱いメッセージでした。会場の多くのクリスチャンは、主の促しを受けて立ちあがり、献身を告白しました。私も再献身を告白しました。本当に素晴らしい断食祈祷聖会でした。

 
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by carbondalle1996 | 2015-09-24 11:19 | 日記 | Comments(0)

イエス様にアドバイス?

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夕方になったので、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「ここは寂しい所でもあり、もう時もおそくなりました。群衆を解散させ、めいめいで食物を買いに、村々へ行かせてください」。(マタイ14章15節)

 夕方と聞くと私などは5時だと勝手に思ってしまいます。それは子供の頃、夕方5時になると市内にアナウンスが流れたからです。「夕焼け小焼け」という音楽が流れて、「おうちに帰りましょう」というアナウンスが流れて、みんな子供たちは遊びを止めて家に帰ったという記憶があります。しかし、このガリラヤ湖の夕方はもっと早かったようです。なぜならば、今と違って電灯がありませんから、陽が沈むと完全に真っ暗です。陽が沈んでから動くことはできません。ですから弟子は3時か4時頃でしょうか、群衆を解散させましょうといいました。

 この発言は弟子たちがイエス様にアドバイスをしているようです。そこには、イエス様は群衆を癒したり、説教をすることに集中して、今日の予定やお金のことに弱い。だから私たちがしっかりとイエス様をサポートしなければならないと弟子たちは思ったかもしれません。ここは政治家と秘書との会話に似ています。

 しかし、イエス様は政治家ではありません。弟子たちにお金やスケジュールのアドバイスを必要とするお方ではありません。私たちもこのような間違いを犯してしまうことがあります。神様に対してアドバイスをしてしまうという間違いです。「神様、そんなことをしたら大変です。それは間違いです・・・」などなど。私たちはどれほどイエス様に信頼して従っているでしょうか?イエス様の御跡を歩む者となりましょう。
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by carbondalle1996 | 2015-09-23 06:43 | 日記 | Comments(0)

はらわたが傷むほど

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イエスは舟から上がって、大ぜいの群衆をごらんになり、彼らを深くあわれんで、そのうちの病人たちをおいやしになった。(マタイ14章14節)

 イエス様は彼らを見て深くあわれんだとあります。マルコ福音書には、「飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれんだ」とあります。群衆はまさに羊飼いの無い羊だったいうことです。誰について行っていいのかわからない。何処へ行けば良いのかわからない。方向性を失った状態です。イエス様はそのような彼らを見て深く憐れんだのです。

 この「誰について行っていいのか分からない」「自分が何処へ行ったら良いのか分からない」状態というのは、イエス様に出会う前に私の姿です。私も以前は、羊飼いのいない羊でした。しかし今はイエス様という羊飼いに出会い、緑の牧場へ導かれて、神様に向かって生きるという方向性を取り戻しました。
 
 ここで「深く憐れむ」と訳された言葉は、ギリシア語で「スプランクニゾマイ」という動詞です。これは「はらわた」という言葉で、目の前の人の苦しみを見たときに、自分のはらわたがゆさぶられる、はらわたが痛む、ということを意味する言葉です。ですから私たちが普段使う「憐れむ」とはちょっと違います。これはヘブル的表現です。

 私たちが苦しんでいる知人や友人を見て、「はらわた」が傷まないとしたら、イエス様のこの時の気持ちはわからないですね。私たちはどのような時に、自分のはらわたが傷むほど他人の苦しみを享受しているでしょうか。イエス様は私達の苦しみを自分の苦しみとしてはらわたが傷むほどに悲しんでくださっているのです。イエス様は愛なるお方です。

 私達もイエス様に従う者として、隣人の悲しみや苦しみを自分の苦しみとして受け止める者となりたいですね。そこに神様かから選ばれたクリスチャンの使命があるように思えます。
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by carbondalle1996 | 2015-09-22 06:36 | 日記 | Comments(0)

イエス様の弟子訓練

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 5つのパンと2匹の魚の奇跡は、4つの福音書全てに記録されている唯一の奇跡です。つまりこのパンと魚の奇跡は、弟子たちにとって最大の奇跡だったということです。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネにとってこの奇跡は福音書から省くことのできない大きな奇跡であり、同時に弟子たちの心に深く残った出来事だったということです。

 ヨハネ福音書には、イエスがメシヤであるしるしとして7つの奇跡が挙げられています。7というのは完全数です。ヨハネはパンと魚の奇跡を7つの奇跡の4番目、つまり真中に書きました。それは山で言えば最高点、頂上を意味します。つまりヨハネにとってもこれはしるしの中のしるしだったことが分かります。

 この奇跡が起こったのは、イエス様の公生涯が始まって3度目の過越の祭りの時期です。イエス様の公生涯は3年半と言われています。それはどうやって分かったかと言うと、福音書には過越の祭が4回出て来ます。そして4回目の過越の祭でイエス様は十字架に架かりました。逆算してそれから1年前が3回目、2年前が2回目、3年前が1回目の過越の祭。それ以前からイエス様は活動していましたから、およそ3年半と言われています。

 パンと魚の奇跡が3回目の過越の祭の時期ですから、イエス様が十字架に架かるまで残り1年だとわかります。イエス様はこの残りの1年という時間の中で、集中的に弟子訓練をしようと考えました。みなさんの命が残りあと1年だとしたら、みなさんは何をするでしょうか。真剣に家族や親戚に伝道するでしょうか。それとも若いクリスチャンに弟子訓練をするでしょうか。イエス様は後者を選びました。
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by carbondalle1996 | 2015-09-21 06:56 | 日記 | Comments(0)