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5つのパンと2匹の魚

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この卑しい女をさえ

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この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう。(ルカ1:48)

 マリアはここでへりくだっているだけではありません。マリアの賛美は喜びにあふれています。それは、はしために過ぎない自分に神さまが目を留めてくださったからです。はしために過ぎない自分に神さまが目を留めてくださっているからこそ、そこには喜びがあります。

 「今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう」とマリヤが讃美したとおり、聖母マリヤはこの二千年間、世界中の教会でさいわいな女性と呼ばれています。それは主のことばは必ず成就すると信じたからです。私たちもマリヤのように主の言葉は必ず成就すると信じる人生を歩みましょう。そこに私たちの本当の幸せがあります。ハレルヤ!
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by carbondalle1996 | 2015-12-31 06:12 | 日記 | Comments(0)

神様の分数計算

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するとマリヤは言った、「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救主なる神をたたえます。この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、(ルカ1:46-48)

 マリヤは「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」と歌い出しました。この「あがめる」という言葉は、ラテン語でマグニフィカトです。ですからこの46節から始まるマリヤの歌をカトリック教会ではマグニフィカト、マリヤの讃歌と呼んでいます。

 マグニフィカトとは英語でmagnify。意味は「大きくする」という言葉です。「主を大きくする」ことが「主をあがめる」ことなのです。どのようにして「主を大きくする」のかと言うと、自分を小さくすることによってです。マリヤは自分のことを「主のはしため」と呼んでいます。

 神様と自分の関係は分数で考えると分かりやすいと思います。分母が自分で、分子が神さまです。分子である神さまは一であるとすると、分母の自分が十であれば、数は十分の一になります。分母が五になれば五分の一、分母が一になれば一になります。分母が小さいほど数は大きくなります。自分が小さくなればなるほど、神さまは大きくなるのです。

 私たちが神様の前で小さくなるときに、神様は大きくなり、大きなみわざをなしてくださるのです。主の前にへりくだりましょう。そして主をあがめて、主に大きなみわざをなしていただきましょう。主は誉むべきお方。
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by carbondalle1996 | 2015-12-30 06:45 | 日記 | Comments(0)

もし幸せを定義するなら・・・

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主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう。(ルカ1:45)

 私はアメリカ留学時代にクリスチャンの家族と知り合いました。その家族は毎週日曜日になると、日本では走っていないような壊れかけた車で私を迎えに来てくれました。その御主人はたいへん貧乏でしたが、娘さんが二人いて、その家族はとても幸せそうでした。私はこのクリスチャンの家族を見て、これが神様を信じて生きるクリスチャンの幸せなのだと思いました。

 神様がもし、「幸せ」を定義するなら、それはこのエリサベツの言葉ではないでしょうか。「神様のことばは必ず成就すると信じた者」。それこそ本当に幸せな者。ですからこの地上生涯でどんな問題が起こっても、神様が語ってくださった御言葉は必ず成就すると信じているから、乗り越えることができる。自分を見たら絶望する。隣を見たら失望する。しかし、神様を見上げたら希望が湧いてくる。

 私達はいつか必ず死にます。しかし、死んでも私達は自分が行くべき場所を知ってします。だから落ち込むことはありません。神様の言葉が自分に成就することを信じているから、私達は天国へ行くことを確信しています。だから毎日が幸せです。今いる場所よりも、もっと素晴らしい場所へゆくからです。
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by carbondalle1996 | 2015-12-29 06:38 | 日記 | Comments(0)

幸せな人とは?

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主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。(ルカ1:45)

 「主のお語りになったこと」とは「主のお語りになったことば」です。主のことばが必ず成就すると言ったのは、御使いガブリエルでした。マリヤはそのガブリエルの言葉を聴いて、「わたしは主のはしためです。おことばどおりこの身になりますように」と御使いガブリエルの言葉を素直に「はい」と受け取りました。

 ここにマリヤの信仰がありました。このときエリサベツは夫のザカリヤをチラッと見たかもしれません。ザカリヤは祭司であるのに、御使いガブリエルの言葉を素直に「はい」と受け取れませんでした。信仰歴が長い、短いよりも主の前にどれだけへりくだることが大切かを学びます。

 ここで注目したいのは、エリサベツはマリヤを「さいわい」と呼んだことです。マリヤがしたことは、ただ主のことばが成就すると信じただけです。私はここに聖書が私達人間におしえる本当の幸せがあると思います。人生は幸せ探しだとも言われます。あれもほしい、これもほしい、お金もほしい、良い仕事に就きたい、大きな家や高級な自動車、高価な宝石、世界旅行。私達は幸せを求めて手を伸ばします。しかし、それが手に入った途端にもっと他のものを欲しくなり、その欲望は際限がありません。

 私たちの本当の幸せとは何でしょうか?聖書が教える私たち人間の本当の幸せ。それは神様のことばは必ず成就すると信じること。それが本当の幸せです。あなたは神様のことばである聖書のことばが必ず成就すると信じて生きていますか?「はい」と答えたあなたは幸せ者なのです。
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by carbondalle1996 | 2015-12-28 06:49 | 日記 | Comments(0)

エリサベツは聖霊に満たされた

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エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、その子が胎内でおどった。エリサベツは聖霊に満たされ、声高く叫んで言った、「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう。ごらんなさい。あなたのあいさつの声がわたしの耳にはいったとき、子供が胎内で喜びおどりました。(ルカ1:41-44)

 マリヤとエリサベツの交わり。まさに私達はこの二人の交わりの中にコイノニアを見ます。神様との関係をしっかりともったマリヤとエリサベツ。この二人が神様の恵みを分かち合うときに何が起こったでしょうか。「エリサベツは聖霊に満たされた」とあります。

 神様の恵みを共有し、分かち合う所には必ず聖霊の恵みが注がれます。この二人のコイノニアは、まさに教会の姿です。キリストによって召された私たちクリスチャンが祈り合い、励ましあい、恵みを分かち合うとき、そこに聖霊が注がれ、聖霊の祝福があります。主にある交わりを大切にしましょう。
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by carbondalle1996 | 2015-12-27 06:30 | 日記 | Comments(0)

コイノニアをもっていますか?

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 私たちもマリヤと同じような経験があると思います。みなさんが相談に載ってほしい人は誰でしょうか。みなさんが会いたい人は誰でしょうか?それはたぶんクリスチャンだと思います。自分のクリスチャンとしての想い悩みをクリスチャン以外の方に話しても、決して理解してくれないからです。

 教会に来てお互いに祈り合い、神様の恵みを分かち合う。それを聖書ではコイノニアと言います。キリスト者が神様との縦の関係を通して、キリスト者同士が横の霊的関係を共有し、分かち合うこと。コイノニアというギリシア語が登場するのが第一コリント1章9節です。

“神は真実なかたである。あなたがたは神によって召され、御子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに、はいらせていただいたのである。”(Ⅰコリント1章9節)

 ここで「交わり」と訳されているのがコイノニアです。この「交わり」はこの世の人々が世間話をするような交わりではありません。なぜならこの交わりには前提があります。「あなたがたは神によって召された」という前提です。この「召され」という言葉は教会と訳された言葉、エクレシアの語源となった言葉です。

 ですからコイノニアという交わりは教会との関係、神様との関係から離れては成り立ちません。私たちが毎週、礼拝後に昼食を共にしながら交わりを持ち、恵みを分かち合うというのはまさに聖書がいうところのコイノニアなのです。マリヤがエリサベツのもとへ走ったのも、このコイノニアを求めてであったと思います。

 あなたは教会で主にある交わり、コイノニアをもっていますか?クリスチャンは一人では生きてゆけません。必ず主にある交わり、コイノニアを持ちましょう。それがキリストの体となり教会の姿です。

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by carbondalle1996 | 2015-12-26 06:24 | 日記 | Comments(0)

エリサベツとマリヤの姿に

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そのころ、マリヤは立って、大急ぎで山里へむかいユダの町に行き、ザカリヤの家にはいってエリサベツにあいさつした。(ルカ1:39-40)

 御使いガブリエルのみ告げを受け、当然、幼いマリヤは戸惑ったでしょう。この出来事を誰に相談すれば良いか。あなただったら、誰に相談するでしょうか?家族でしょうか?教会の牧師。学校の先生。マリヤは家族でもなく、祭司や長老でもなく、親戚のエリサベツに会いに行きました。

 エリサベツとザカリヤの家は、エルサレムから南に10km程にあるエン・カレムだと言われています。エンとはヘブル語で「泉」、カレムとは「ぶどう」の意。ですからエン・カレムとは「ぶどう園の泉」という意味です。ガリラヤ地方のナザレからエン・カレムまでおおよそ140km。秋田市から南に140km行くと鶴岡市があります。当時の人々は4日をかけて歩いたと言われていますので、マリヤもエリサベツのいるエン・カレムまで4日間の旅をしたと考えられます。

 どうしてエリサベツだったのでしょうか。今、この時点で唯一、この不思議な出来御を信じて、この経験を分かち合えるのはエリサベツだと思ったからでした。なぜならエリサベツもマリヤと同じ体験をしたからです。御使いガブリエルの訪問を受け、神様の恵みによって妊娠するという出来事。

 この不思議な出来事を経験したのは、このとき地上ではエリサベツとマリヤの二人だけでした。ですからマリヤは立って、大急ぎでエリサベツの所に向かったのでした。神様が自分にしてくださった恵みを分かち合うため。祈ってもらうため。お互いに祈るため。

 私達は一人では生きてゆけません。共に神様を分かち合い、祈り合える兄弟姉妹が必要です。教会は単なる組織でも建物でもありません。それはキリストの体でり、神の家族でもあります。神の家族ですから、私達は困難に出会うと共に祈り合い、喜びに触れると恵みを分かち合うのです。エリサベツとマリヤの姿に私は教会の姿を見ます。
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by carbondalle1996 | 2015-12-25 06:34 | 日記 | Comments(0)

Christmas Eve

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          今夜はクリスマスイヴ礼拝


          礼拝後は食事会


          イエス様の降誕を祝って


          みんなでお食事をしました


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          大盛りの焼きそば


          誰が食べたでしょうか?


          楽しい、楽しいクリスマス


          Happy Christmas!


          感謝。
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by carbondalle1996 | 2015-12-24 23:40 | 日記 | Comments(0)

find that grace

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 2015年6月17日、米南部サウスカロライナ州チャールストンの黒人教会で銃乱射事件が発生し、9人の黒人が亡くなりました。6月26日に死亡したクレメンタ・ピンクニー牧師の追悼式が行われ、オバマ大統領ら5500人が参列しました。ピンクニー牧師への追悼の言葉でその神の恵みについて触れたオバマ大統領は、「もし我々がその神の恵みを見つけ出すことができれば、すべてが可能になります。もし我々が神の恵みを手にすることができれば、すべてを変えることができるでしょう。アメイジング・グレイス」と演説しました。

 そのときハプニングが起こりました。大統領が「Amazing Grace」を独唱しだしたのです。「クレメンタ・ピンクニーはその恵みを見つけ出しました。シンシア・ハードはその恵みを見つけ出しました。スージー・ジャクソンはその恵みを見つけ出しました。

 エセル・ランスはその恵みを見つけ出しました。ディペイネ・ミドルトン=ドクターはその恵みを見つけ出しました。タイワンザ・サンダースはその恵みを見つけ出しました。ダニエル・L・シモンズ・シニアはその恵みを見つけ出しました。シャロンダ・シングルトンはその恵みを見つけ出しました。マイラ・トンプソンはその恵みを見つけ出しました。

 彼らは、自らの命を通してその恵みを私たちへと伝えてくれました。その尊い贈り物を受けるに値する人生を、私たちが歩み続けることができますように。その恵みが、犠牲になった方々を安らかな場所へと運んでくれますように。そして神の恵みが、アメリカ合衆国とともにあり続けますように。」

 オバマ大統領は亡くなられた9人の名前を読んで「find that grace」と叫びました。彼らは人生の中で神様の恵みを見出しました。クリスマスは神様の恵みを見出す最高の時期です。あなたもこの恵みを「はい」と素直に受け取る者となりましょう。
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by carbondalle1996 | 2015-12-23 06:36 | 日記 | Comments(0)

恵みと真理

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“律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。”(ヨハネ1章17節 新共同訳)

 律法はモーセを通して神様から与えられました。そこには618の戒律が記されていました。しかし、人はこの618の戒律を誰一人守ることはできませんでした。つまり律法を守るという行為においては誰も天国に入ることができませんでした。ですから聖書は言います。義人はいない。一人もいない。すべてが罪人であると。だから神様はこの人類を救うためにイエス・キリストを地上に送ってくださったのです。ここに神様の恵みと真理が現れています。

 恵みとは、本来受ける価値の無い者が、与える側の一方的な憐れみによって受けることが許されたということ。赦されない者が赦されたこと。これが恵みです。真理とは神様が契約を守ることにおいて真実であるということ。私達人間は約束を破りますが、神様は決して私たちと交わした約束は破りません。それが神様の真理です。

 神様は私達人間に対して、救いの約束をしてくださいました。その救いの約束というのは、神の一人子をこの世に遣わし、私達罪人が受けなければならない罪の裁きを、イエス・キリストを十字架に就けることによって身代わりとなり、私たちを救ってくださるというものでした。ここに神様の人類に対する恵みが現されました。この恵みを素直に「はい」と受け取る者に天国は与えられます。
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by carbondalle1996 | 2015-12-22 06:24 | 日記 | Comments(0)