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5つのパンと2匹の魚

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三四郎

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あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。(マタイ18:12)

 私が中学校1年生の時の思い出です。夏休みに読書感想文を書くという宿題が出ました。私はそのとき夏目漱石の「三四郎」を購入して読みました。その当時、テレビ番組で「姿三四郎」ドラマが流行ったことと、教科書で「吾輩は猫である」を読んでいたからという理由でした。

 姿三四郎のようにかっこいい主人公が登場するかと思ったのですが、そうではありませんでした。熊本の高校を卒業し、東京帝国大学に入学した三四郎という青年の物語に、私は少なからずがっかりしてこの本を読んだ記憶があります。そして何よりも読み終わって、私は正直、全然内容がわからなかったことを覚えています。しかし私の頭に1つの言葉が残りました。それは「ストレイ・シープ」という言葉です。

 この小説は最後に「ストレイ・シープ。ストレイ・シープ」と主人公が口の中で繰り返している場面で終わります。ストレイ・シープとは英語で「stray sheep」と書き、「迷える羊」という意味です。これはマタイ福音書18章のイエス様のことば。そしてこの「ストレイ・シープ」という言葉が、小説「三四郎」を貫くテーマだったのです。今思えば、聖書を読んだこともない中学一年生の子供がわかるはずもない物語ですが、今は少しですがわかるようになりました。
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by carbondalle1996 | 2016-02-29 06:40 | 日記 | Comments(0)

あさが来た

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今週はNHK朝ドラ「あさが来た」からのワンシーンをご紹介。

 暴漢に刺されて入院した主人公のあさを心配で見舞う娘の千代との会話。
千代:「お母ちゃんなんて、ちょっと刺されたぐらいがちょうどええんだす。」
あ さ:「なんてことを!あんたなあ、この傷がどんだけ痛いか・・・」
千代:「・・・・・」
あ さ:「あんなあ、この世には言霊(ことだま)いうのがあってな、口から出たことばがほんまのことになったりするんだすえ。」
千代:「えっ!」
あ さ:「悪いこと言うたら、悪いことが起こったり、ええこと言うたらええことが起こったりしますのや。そやのにあんたは、ちょっと刺されたぐらいがええなんていうて!」
千代:「なんだすの、それ!何が起こってもお母ちゃんの自業自得ですやろ!」
母の「言霊(ことだま)」ということばに動揺する千代でした。

日本人は創造主なる神様の存在を信じなくとも、神様のなされる「ことばの力」を「言霊(ことだま)」として信じ、怖れていたことに驚きました。聖書は言います。

”初めにことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。すべてのものは、これによってできた。”  (ヨハネ1章1~3節)

 目に見える世界は、目に見えないことばによって創造された。神が「光あれ」と仰せば光が生じた。これが聖書の教える真理です。チョー・ヨンギ先生は、その著書「4次元の人」で私たち人間は神様に似せて創造された者であるゆえに、「ことばによって創造する力も備えられている」と書いています。

 ですから私達はいつも肯定的、積極的、信仰的なことばを口から発します。感謝をことばにすれば、たとい感謝できない状況に在ったとしても、私たちの心に感謝が創られ、心から感謝が溢れ出します。喜べない状況だとしても、「主を誉め讃えます」と喜ぶならば、私たちの心に喜びが創られ、心は喜びで満ち溢れるのです。すると目に見えない四次元の世界(ことば)によって、目に見える私たちの世界が創られてゆくのです。

 あなたの口から出る「ことば」によってあなたの未来が創られます。ハレルヤ!
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by carbondalle1996 | 2016-02-28 17:43 | 日記 | Comments(0)

希望を磨く少年

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 有名なイギリスの小説家に、チャールズ・ディケンズという人がいました。彼は、もともとは裕福な家庭に生まれ、幸福な幼年時代を送りました。ところが、彼が12歳になった時、当時海軍の経理局で事務員をしていた父が、その浪費癖のために、家庭の経済が完全に破綻してしまいました。そのために、ディケンズは学校を辞めて、家計を助けなければならなくなりました。

 しかし、12歳のディケンズは、決してこの困難に負けないと、堅く決心しました。彼の仕事は一日中靴を磨くことでした。しかも、ディケンズ少年は、その間中、いつも歌を口ずさんでいました。彼は、絶対自分の身の不幸を嘆きませんでした。嘆く代わりに歌を歌ったのです。

 そんな彼を不思議に思って多くの人が聞きました。『坊や、靴磨きがそんなに楽しいのかい?』 すると、彼は、必ずこう答えたそうです。『はい。僕は希望を磨いていますから!』人はある時、貧乏や困難を通して成長することがあります。そのためには、自分の境遇をどれだけ肯定的に受け入れて考えるか、そのことにかかっています。やけっぱちになって、自分の仕事を大切にせず、熱心に励まないなら、そういう人には未来も希望もあり得ないのです。

 事実、ディケンズは、そのあと、15歳の時に、法律事務所の小僧として働きますが、そこで彼は速記の勉強をするのです。そして、16歳の時には、裁判記録の速記者になり、20歳の時には、ある通信社の議会記者になって、議会討論の内容を速記して、それを記事にするようになります。その記事が好評を得て、彼の文筆力が高い評価を受け、ついには作家としてスタートするのです。

 ディケンズは、自分の少年時代の体験を生かして、苦難の中で、雄々しく育っていく『デイビッド・カパーフィールド』という小説を書きました。そして、苦難の中にあっても、希望を持って雄々しく生き抜いていく少年の生き様を描いて、苦難の中にある子どたちに生きる希望を与えました。

 ”主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。”(詩篇23:1)

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by carbondalle1996 | 2016-02-24 06:48 | 日記 | Comments(0)

そうすれば、自分も赦されます

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 「赦さなければ、我々は前には進めない」「赦さなければ平和はない」と、大統領権限で日本人戦犯に特赦を出したキリノ大統領でしたが、予想通り、国民の非難と反発はすさまじく、再選を狙った大統領選挙で大敗を喫しました。その2年後、在職中から胃癌を患っていたキリノ氏は、65歳で亡くなりました。

 しかし、将来の日本との関係を考え、日本人戦犯を赦し、憎悪の連鎖は断ち切らなければならないことをフィリピン国民に訴えたキリノ氏のキリスト信仰は、フィリピンの信仰者たちの心に残りました。キリノ氏の死後、何年か経って、あれほど猛反発していたフィリピン国民の間から、キリノ大統領の決断は正しかったことを認める人たちが出てきたのです。

 そのひとりロチャさんは、「ずっと憎しみを持ち続けたままでいいのか」と煩悶し、「日本人もまた被害者だ」と考えるに至ります。またピネダという人は、キリノ氏の「赦しの決断」の後を追い、遂に赦しにたどり着きました。みな、憎しみを越えて「赦す」ことを選んだのです

「さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます」(ルカ 6:37)。
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by carbondalle1996 | 2016-02-23 05:27 | 日記 | Comments(0)

赦さなければ、前に進めない

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 1953年、キリノ大統領は、日本からの賠償なしに、そして妻の親族の反対と国民感情を押し切って、特赦を出して56名の死刑囚は終身刑に、残りは釈放し、日本に送還したのです。

 さらに、大統領任期が切れる二日前になって、もう一度特赦を出して、巣鴨プリズンに収容されていた終身刑の囚人も釈放しました。「フィリピンと日本は近い。いつか日本と友になる日が来る。」「赦さなければ、我々は前には進めない」。それが大統領の決意の言葉でした。赦さなければ、いつまでも過去に縛られたままになるのです。
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by carbondalle1996 | 2016-02-22 05:22 | 日記 | Comments(0)

七を七十倍するまで

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 キリノ大統領は日本人死刑囚の死刑を執行しましたが、心には葛藤がありました。彼は教会へ行き、十字架の前に跪き我が身を思いました。本当にこれでよいのかと。自分はイエス・キリストの十字架によって赦された者ではないか。赦された者がいつまでも敵を憎み続けて生きることが正しいだろうか。聖書は言います。「あなたの敵を愛しなさい。七を七十倍するまで赦し続けなさい」と。
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by carbondalle1996 | 2016-02-21 05:19 | 日記 | Comments(0)

大統領の葛藤

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 戦争が終わり、キリノ氏は大統領となりました。キリノ大統領は日曜日も休まず教会に通うほどの熱心なクリスチャンでした。当時、キリノ大統領にとって最大の問題は日本との講和問題。1948年8月、フィリピン政府は日本兵のBC級戦犯裁判を行い、137人に有罪判決を下します。うち79人は死刑でした。同年、キリノ大統領はまず2人を処刑します。死刑執行の権限は大統領にあります。

 しかし、死刑執行命令を下したのち、クリスチャンであったキリノ大統領の心に葛藤が生じました。「赦しなさい。赦さないなら、あなたがたの父もあなた方の罪を赦されない」。このキリストのことばが心に迫りました。それから2年あまり処刑は行われませんでした。しかし、国民感情がそれを許さなかったのか、1951年1月、大統領は14人の死刑執行にサインします。
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by carbondalle1996 | 2016-02-20 05:10 | Comments(0)

1945年2月9日

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 先日、天皇陛下ご夫妻がフィリピンをご訪問されました。今から70年前に多くの日本人とフィリピン人が戦争で亡くなりました。戦争末期のマニラ市街戦で、日本軍によって10万人のフィリピン市民が殺されたといいます。当時、上院議員だったエルピディオ・キリノの家族は、フィリピン総合病院に近いマニラ市エルミタ地区のコロラド通りに住んでいました。

 1945年2月9日午後、キリノ邸が米軍の砲撃で一部破壊されたために、妻のアリシアさんが長女ノルマ、長男トマスらと一緒に近くにあった実家に避難しようとしました。しかし、実家の向かいにあった日本軍の防衛拠点にいた狙撃兵に銃撃され、アリシアさんと長女ノルマさんは即死。

 アリシアさんが抱いていた当時2歳の娘フェちゃんが地面に投げ出されました。フェちゃんはしばらく泣いていましたが、そのとき日本兵が近づいて来て銃剣で刺して2歳の娘フェちゃんを殺しました。愛する妻と子供が日本兵に殺されたという知らせを聞いたキリノ氏は、そのとき日本兵を殺したいと思うほど憎みました。
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by carbondalle1996 | 2016-02-19 05:02 | 日記 | Comments(0)

赦しと和解

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この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。(マタイ18:4)

 私の敬愛するA先生の証しです。昔、A先生に仕えていた副牧師のB先生がおりましたが、B先生が突然教会を辞めてしまいました。A先生の心には苦い思いが残りました。A先生は講壇から「自分を傷つけた人を赦し祝福しなさい」とメッセージしていながら、自分自身の中に苦い根があることに気付き、「B先生を赦します」と告白してもできれば顔を見たくないと思っていたそうです。

 ところがあるときB先生から手紙が届きました。「A先生、昔は大変失礼致しました。あの頃、僕として主任牧師に仕えるということがわかりませんでした。しかし今、教会の伝道者たちが忠実に私に仕えている姿を見て、私は自分に「僕の賜物」が無かったことを恥ずかしく思います。あのとき、A先生に無礼をしたこと、どうぞ赦してください。私は今ある病気で入院しています。どうか私のためにお祈りしてください。」

 A先生はすぐにB先生に手紙を書き、良いお医者さんと病院を紹介し、後日、B先生をお見舞いしました。先生は何十年ぶりにB先生と和解しました。神様はへりくだる者に聖霊を注がれます。神様の御名を褒め称えます。
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by carbondalle1996 | 2016-02-18 04:42 | Comments(0)

Henri J. Nouwen

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あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。あなたがたに言うが、彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである。(マタイ18:10)

 ハーバード大学の教授職を辞し、障害者施設で働いたヘンリー・ナーウェン博士はこう言っています。「私の中には影響力、成功や評判を得たいという願望がある。しかし、イエス様に従う道は人の目から離れて、無力で小さい者になることです。」
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by carbondalle1996 | 2016-02-17 18:19 | 日記 | Comments(0)